<2021年12月家族会報告>

12月18日(土)1時半~5時  29名参加(24家族) 初参加2名(2家族)

講師:朝倉崇文先生(北里大学医学部 精神科医師 KIPP担当)

「アディクションってなに?~「やり過ぎる」をどう扱うべきか?~」

パワーポイント使用 印刷資料あり

北里大学医学部の朝倉です。精神科医ですが依存症だけを診ているわけではありません。北里大学病院では従来からアルコール依存症外来が多いのですが、ギャンブル障害、薬物依存症の専門外来もありまして全部の担当医をしています。相模原市では精神保健福祉センター(ウエルネス)で薬物ギャンブルの専門相談担当をしています。ここでは医療だけでなく行政に繋げることも出来ます。毎月2件相談をうけていて市の広報誌にも載せてあります。無料です。病院の外来のほうは予約がいっぱいですが、市の相談のほうは余裕がありますので、周りに困った方がいらしたらご紹介下さい。あと横浜の寿町というドヤ街の、ことぶき共同診療所で週一回内科と精神科を合わせてやっていたり、拘置所でも診療をしています。その前は厚労省や内閣官房で依存症対策をしていたこともあります。COVID-19 の関係では、横浜港でダイヤモンドプリンセス号に乗り込んで支援した経験もありますので、一番最初にコロナ感染症を経験したことになります。そういった災害医療も多少しています。

依存症には特定のイメージが付きまといます。うつ病や自殺企図には人は責めませんが、薬物やギャンブルで失敗すると人や社会が厳しく責めます。依存症という病気には、世間のイメージがかなり厳しくて「だらしない人がなる。意思の弱い人がなる。快楽に身を沈めた結果だ。悪い奴がなる。」といったイメージがあってそれが治療を難しくしている面があります。社会の偏見や差別があるので、どうしてもご本人や家族が治療につながりにくいし、続けるのが難しい現状があります。ご本人も悪いイメージを取り入れて否認してしまうので治療の妨げになります。しかし泥酔記者会見で失脚した大臣の中川さんの事例で分かるように、だらしない人や快楽に溺れるような人が大臣になることはできません。他にも多くの著名人、有名人が依存症になっていますし、だれでもなる病気だということは、皆さんもご存じのことだと思います。

そもそも依存症とは何なのか、学術的な話に移ります。依存症とか嗜癖障害とかいろいろ言われますが。ギャンブルや過食が依存症かどうかという話を聞いた事があると思います。アディクション(嗜癖)というのは、「何かにハマってしまって、なかなかやめられない、ほどほどができない、それによって自分にも回りにも不利な結果に陥っている、それでもやめられない。」こういう状態をアディクションといいます。医学で「依存症」といいますとアディクションの中でも特に物質に依存してしまう、サブスタンス・ディペンダンスのことをいいます。アルコール、覚醒剤、ニコチン、カフェイン、精神科薬などがあります。行動嗜癖も含めて嗜癖(アディクション)という言葉の方が広い概念ですが、「嗜癖」という言葉が日本語ではあまり聞き慣れないものですから、「依存症」という言葉のほうが一般に使われる言葉になってしまいました。「ゲーム依存」とか「ネット依存」とか新しい嗜癖に依存症の言葉を使うのは、そういうわけです。

アディクションがどのように定義されてきたのか歴史をみてみる必要があります。お酒とか薬物や賭け事にのめりこむ問題は大昔からわかっています。しかし大昔ではあまり社会問題にはなりませんでした。貴族階級は手に入れられますが、一般庶民は祭りのときくらいしか手にしませんでしたから。それが大きく変わったのは実はペストの流行と産業革命です。多くの人が死んで、労働者が貴重になった。それで底上げというか、皆がある程度裕福になり暇ももてるようになった。余暇に向き合う必要がでてきたのです。お酒も手に入りやすくなった。お酒といえば高級酒がなかった時代から、蒸留酒が作れるようになり皆が飲めるようになった。ストレス解消とか気持ちを和らげることが非常に重視された時代がありました。1804年モルヒネが開発されると、アメリカなどではモルヒネがすごく使われ「女性は弱いものだから苦痛を与えずに守られるべきものである」と言う発想から、中流から上流の女性に流行りました。そういった時代の変化から社会で物質乱用の問題が散見されるようになり、19世紀にはアルコホリズムの概念が提唱されるようになりました。1840年代にはアヘン戦争があって中国がめちゃめちゃにされました。世界中で依存症が社会問題になり禁酒法をはじめ様々な依存物質や嗜癖行動に関する規制の法律が作られました。依存症という概念はあるのですが、それは罰を与えたり看病したりして改善させようと言う流れになりました。禁酒法や薬物に関する法律や賭博に関する法律ができることで社会はどうなったのでしょうか。依存症がなくなったか?依存症はとなくなりませんでした。なので、病気という観点を作って治療する対象になりましたが、それがなかなかうまくいかない。このように酷くなるよという依存症が進んだ先の結末を教えたり、倫理観や宗教的な道徳論でやっていたのですがその効果は薄く、依存症は治らない病気という発想になっていきました。

それが変わったのは1935年、AAという自助グループが出来てからです。ビル・ウィルソンとボブ・スミスという二人の出会いから始まりました。ビル・ウィルソンはキリスト教福音派の人で色々努力していたのですが、誰かに説いてもらうより、誰かと話した方がいいんじゃないかという話に行きついたのです。当事者同士が話す。セラピストが話すのではなく、当事者同士がお互いの話をすることで欲求が下がるという方法。それがほかの依存症にも広がっていき、薬物やギャンブル依存にも応用されて、更にマックやダルクにも発展しました。今はHIVの人やセクシャルマイノリティの苦痛を和らげるにも使われます。医療の中にも移行されて今は自助グループとは違うやり方で応用されています。依存症に関しては医療よりも自助グループのほうが先に効果があったわけです。日本では久里浜医療センターができたのは1965年なので、アメリカでAAが成立した30年後でした。

なんでお酒を飲み続けるのがただの「癖」じゃなくて「精神障害」になるのか。最初は生物学的要因が注目されました。物質によって体が変化する。身体依存つまり「離脱と耐性」の存在です。アルコールだけは確かにそうなのですが、覚醒剤では身体依存も離脱もほとんどないのです。コカインに関しては耐性すらありません。それなのにやめにくい。それで出てきたのが「ドーパミンニューロン(脳内報酬系)仮説」です。人間は楽しい時には快楽を感じます。快楽のある時はドーパミンという物質が頭の中で放出されることがわかっています。それが気持ちいいのでまたしたくなる。これは実行している時だけでなくやろうとするときにも出ます。やりたいと思うだけで体が変化するようです。実はドーパミンがたくさん出ると脳が委縮するのです。統合失調症やハンチントン病などではドーパミンで脳が委縮します。あまりに出すぎると脳に毒なので脳は自分で調整して出を少なくします。あまりにお酒を飲んで気持ちいいが続くと、脳は翌日ドーパミンの出を少なく抑えます。快楽の逆、辛い状態になります。そうなると快楽を求めてどころか辛さを減らすためにお酒を摂取するようになる。最初は快楽を求めて使っていたのが、最後は辛さを減らすために、あるいは普通の状態に戻すために使うようになってしまう。そこが依存症といわれる状態です。快を求めて使う段階ではまだ依存症とは言えない状態で、ないとキツイという状態になると依存症なのです。

心理学からは「自己治療仮説」が注目されて、これが主流になっています。人間は気持ち良くなる欲求を我慢ですることはできます。しかし不快感情、抑うつ、怒り、孤独、悲哀、不安などから逃れる行動は我慢できません。これらは自然界であれば外敵に襲われた時に出る感情ですから。依存症だけでなく、強迫性障害、引きこもり、等の元にもなる感情です。人間ですからそういう場合に他人に助けを求めることもできます。人と会うとか電話するとか、あるいは山登りみたいな行動で解消することもあります。しかし確実ではない。そこへ行くと物質や手軽でかつ確実、だから嵌ってしまうということです。

平成22年頃からですが、自殺防止策として依存症が注目されるようになりました。「自殺防止対策としてギャンブル障害が注目された理由」という研究があります。うつ病は良く自殺が起こる病気として知られており20年位そう言われて対策が取られてきましたが、その人たちの「自殺念慮や自殺企図」に比べて、アルコール依存症の人たちのそれは同じくらい高い。薬物依存、ギャンブル障害の人たちのそれは更に高いのがわかります。この研究が当時の政治家たちに注目されて、それから我が国の自殺防止対策が大きく舵を切り、ギャンブル依存を始め依存症が加えられて、治療も注目されるようになりました。

 

北里大学病院では、依存症の治療というより、「行動をどう変えるか」に重点を置く治療をしています。依存症であるかどうかにこだわるより、今の状態をましにすればいいと。要は否認と戦わないためです。認知行動療法を立ち上げて今は外来集団療法(KIPP)を行っています。ギャンブルに関しては2014年から。薬物使用障害については2017年から。薬物依存症専門外来を設置したのは、私が厚労省から帰ってきてからです。2018年からはすべての嗜癖障害を対象としています。そこには今ダルクのスタッフの方も集団療法に入っていただいています。行動は何かしらの状況(引き金)によって起こります。起きた結果によって次の行動が引き起こされます。行動自体を何とかしたいと言う思いは必ず患者さんはもっているので、そこに介入していきます。行動に関しては具体的でなければいけない。非常に大切なのは自分が選択する事です。自分はどうしたいのか、どう行動するかを考えてもらう。それを外来では重視しています。なぜ主体性が大事なのか。主体的な場合は失敗してもいいのです。主体的に選んだ行動が失敗すると、そこで前進するのです。自分のプランが悪ければ、それに気がついて変えればいいのです。しかし主体的でなければ失敗しても、本人に責任がないので前進しないのです。ご本人に考える機会を持ってもらう事を大事にしています。新しい行動を作るために必要な事はどんなことでしょう。具体的であること、曖昧ではだめです。成果を急がない、やる前から決めつけない。できることからやってみる、断酒でなくても節酒からでもいい。出た結果にはすぐフィードバックして褒める。また分析する、何でうまくいったんだろうと考えることです。周囲と比較しない事も大事です。何より大事なのは、新しい行動を作るための居場所があることですね。その居場所は病院でもいいし、ダルクや自助グループでもいいのです。

 

人が施設や病院に足を運ぶのは、問題が大きくなってその結果を何とかしたいと思うからです。ダルクや自助グループに来る人もそうでしょう。病院もそうです。原因を何とかしてというより、現状を何とかしたいと言う思い。その意味で病院は応急処置が出来ればいいと考えています。問題解決において大切なのは、本当に治すことより現在の問題を少しでも減らす事です。そこを重視しないと治療も続きません。問題の再燃する確率を減らすこと。また再燃しても対処できる程度にリスクマネジメントをする事です。失敗もありうるという事を覚えておく必要があります。ギャンブルでいえば、お財布の中の3万円を使うのと、消費者金融で100万円借りるのでは全然違います。問題が起きちゃった時に人に告白できるかどうか、告白できずに雪だるま式に膨らませてしまうかどうか、この辺は結構大事です。またその人にとって本当に困る事と、なんとかなる事を区別する必要もあります。相模原市でご家族の相談を受けていると、ギャンブルで借金して困っている話が、いつの間にか部屋が汚いと言う話になっていたりします。そのあたり整理して優先順位をつけるのも、専門相談の役目かなと思います。

最終的に支援していく中では「戦略」が必要となります。その中で一番危ないのは「意志の強さに」頼ることです。そもそも意志の強さとは何のことでしょうか。意志の強さは測れません、強くする方法もわかりません。多くの場合、結果で判断しています。つまり、意志の強さに頼ろうとする人は基本的に無策です。戦略の一つとして自助グループや病院が存在します。現実に向き合って戦略を立てることは苦しいです。葛藤が出てきて苦しいので、「意志の強さ」という言葉に逃げたくなるのは、ご本人もご家族も、支援者も同じです。「害を減らすための戦略」を立てましょう。アディクションはコントロール障害であって、ほどほどにするのが難しい。完全に断つのがベストな選択です。しかしのめりこんだ行動は自分が楽になるましになるために選んだ行動ですから、手放すのは非常に覚悟を要するものです。手放すのは勇気がいります。辛くなります。覚悟が決まるまでは時間を要する、多少の害が減るだけでもいいじゃないか、という思いで対応していくのが大事だと思います。また失敗することで、初めて覚悟が決まるのが人間だともいえます。

 

最後に「家族へのアドバイス」です。質疑応答でよく話すことをまとめておきました。まず起きている問題を整理する。これはなかなか一人では結論つけにくいもの、人に相談することも大切です。追い詰められていると問題が整理できないものです。何で相談が必要なのかというと、話しているうちに問題が整理されて解決策まで思いつくことがあるからです。また自分自身をケアすることにもなります。「アディクトのための人生にしない」、「自分自身のための人生にする」、これは非常に大切です。依存症ご本人のためにも必要です。よく家族のために止めると言う人がいますが、最初はそれでもいいですが、いずれ破綻します。自分にとって大事だからやめるという観点が必要です。止めるか止めないかを超えて、すべての人にとって自分自身を大事にすることは非常に大切なことです。自分の事は自分で変えられるし人の事は変えられない。自分の事を生きていく中に他の人をサポートする事があると言う考え方が大切です。あと背中を見せること。当事者が体験するより前に自助グループや家族会に行き続ける姿を見せることは、当事者にとっても大切です。実はあるポイントで人が変わることがあるのです。相模原市の相談支援をしていると、「依存問題のあるご本人さんの状況を分からない」というご家族の相談がもあります。「本人の状況がわかっていない家族の相談を受ける意味があるのか?」と思うのですが、その後2年後くらいにその後本人と診察の現場で会ったりするんですね。何時か変わる時が来るのです。その時のために情報を集めてしかるべき時に備えることも結構大事な事だと思います。あと大事な事として、ご家族は治療者になりたがることがありますが、これは出来るだけしない方がいいです。これは精神障害に限りませんが、ご家族は治療者にならずに基本的には外部の人間に任せた方が良いです。身内を客観視するのはすごく難しいですから。ご本人さんにとってご家族は非常に大事な存在です。それを失いたくないが故に正直になることもできません。最後も難しいですが、自分の問題とアディクトの問題を、切り分ける必要があります。他人の課題はその人しか取り組めないものです。例えば、息子が捕まるんじゃないかという不安は、彼の問題ではなくて心配している自分の問題です。夫に腹が立つとして、それはむかつく行動をしている夫ではなく腹が立つ自分の問題です。

最後に「家族の自助グループの意義」について。やはり分かち合いと、孤独感の解消はとても大きいと思います。希望を見いだすこともありますが、陥りやすい失敗を知る意義もあります。引き出しを多くすることにもなるし、失敗は自分の家族だけがしているわけじゃないと、孤独感を減らすことに繋がります。背中を見せることで、新しい生き方をすることができます。自分の課題と家族の課題を分けて取り組む、これも非常に難しい事ですが、自助グループを続けていく中で、だんだん客観視が出来るようになってきて、ご本人さんが良くなる良くならないに関わらず、幸せに近づくことができてきます。これはまさに「平安の祈り」にあるように、「変えられるものを変える勇気、変えられないものを受け入れる冷静さ、そして両者を識別する知恵を与えたまえ」と記されていることに重なります。非常に大切な事だと思います。

文責:伊藤