<2020年12月家族会報告>
12月19日(土)1時半~5時 19名参加(14家族) 初参加3名(2家族)
講師:朝倉崇文先生(北里大学医学部 精神科医師 KIPP担当)
「アディクションってなに?~「やり過ぎる」をどう扱うべきか?~」
パワーポイント使用。 印刷資料あり。
北里大学医学部の精神科の朝倉です。精神科医です。北里大学病院でギャンブル障害、薬物依存症、アルコール症専門外来がありますが、全ての担当医をしています。相模原市の精神保健福祉センターでは、薬物ギャンブルの市民相談担当をしています。病院の外来のほうは予約がいっぱいですが、市の相談のほうは余裕がありますので、周りに困った方がいらしたらご紹介下さい。あと横浜の寿町というドヤ街の、ことぶき共同診療所で週一回内科と精神科を合わせてやっていたり、企業内診療所でも診療をしています。その前は厚労省や内閣官房で依存症対策をしていたこともあります。
依存症という病気には、だらしない人がなるとか、意思の弱い人がなるとか、ネガティブなイメージがあってそれが治療を難しくしている面があります。社会の偏見や差別があるので、どうしても治療につながりにくいし、続けるのが難しい現状があります。しかし泥酔記者会見で失脚した大臣の中川さんの事例で分かるように、だらしない人や快楽に溺れるような人が大臣になることはできません。他にも多くの著名人、有名人が依存症になっていますし、だれでもなる病気だということは皆さんもご存じのことだと思います。
そもそも依存症とは何なのか?依存症とか嗜癖障害とかいろいろ言われますが。アディクション(嗜癖)というのは、「何かにハマってしまって、なかなかやめられない、ほどほどができない、それによって自分にも回りにも不利な結果に陥っている、それでもやめられない。」こういう状態をアディクションといいます。医学では「依存症」といいますと、アディクションの中でも特に物質に依存してしまう、サブスタンス・ディペンダンスのことをいいます。嗜癖(アディクション)という言葉の方が広い概念ですが、「嗜癖」という言葉が日本語ではあまり聞き慣れないものですから、「依存症」という言葉のほうが一般に使われる言葉になってしまいました。物質ではなく行動自体に問題が出る嗜癖もあります。ギャンブルとか買い物とかセックスとか放火とか、そういうものにのめりこむ人たちを「行動嗜癖」といいます。ですが一般用語としてはこれらも「依存症」と呼ばれています。
アディクションがどのように広まってきたのでしょうか。歴史をみてみましょう。お酒とか薬物で人が身を持ち崩すというのは大昔からわかっています。紀元前の中国から禁酒法はありますし、日本では律令制度の時代から賭博禁止法があります。禁止法は作られては壊されての繰り返しですが、依存性物質が社会問題になってきたのはずっと後で、19世紀からです。安く作れるようになったからです。蒸留酒が作れるようになり皆が飲めるようになった。アルコールもケシも、昔は貴族やお金持ちがハマる病気で、普通の人にはお祭りとかでしか使えないものでした。19世紀以降、酒造会社と市民社会とのせめぎあいがありまして、二度の世界大戦を経て禁酒法ができるわけです。しかし禁止されれば地下に潜り、アンダーグラウンドを富ませる結果になってしまった。禁酒したらなくなるだろうと思ったが、なくならないのでお酒を抜くための治療施設ができます。しかし治療施設を出たらまたアルコールや薬物にハマってしまう。説得したりいろいろするんだけど止められない。
AAができたきかっけはある人が出張した先で、お酒を飲んでしまいそうになってカウンセラーに会った。そのカウンセラーが聞き役じゃなくて、自分もやめられないだと話して、お互いにやめられなくて苦しいんだという話になった。そしたらお互い心が晴れてすっきりして飲まないでいられた。この手法を広めていこうということで自助グループが始まります。このやり方がある程度成功してきたら、今度は病院や施設がこの方法を取り入れるようになってきた。ちょうどカウンセリングも技法が進歩し始めた頃でしたので。今では他にも介入方法が開発されていますけれども。
依存症の場合ちょっと特殊なのが社会的問題が最初にあって、それをなくすために最初に法律ができます。それじゃうまくいかないから治療が始まり、治療じゃうまくいかないから自助グループができた。自助グループの手法を受けついで施設がレベルアップしていったという流れです。社会的問題が先にあって、自助グループができた、というのが依存症の特徴です。
社会的問題なのに「なぜ精神障害ととらえるのか?」まず体が変化します。体がつまり生物学的に変化してしまうと、お酒では顕著なのですが離脱症状(いわゆる禁断症状)が出る。アルコールは離脱と耐性がしっかりある。しかしコカインや覚醒剤となると、体が変わると言うだけでは説明できない。覚醒剤は身体依存はほぼないので離脱が起きないですし、コカインは耐性すらありません。それで出てきたのが「ドーパミンニューロン(脳内報酬系)仮説」です。人間は嬉しい時楽しい時には快楽を感じます。快楽のある時はドーパミンという物質が頭の中で放出されることがわかっています。薬はドーパミンを普通の状況では考えられないほど大量に放出するので、頭がびっくりしてしまうんですね。それが繰り返し行われると、こんなにたくさん放出されるなら自分で作らないぞとなっちゃう。ドーパミンは快楽物質ですが増えすぎると脳を萎縮させるものです。脳がドーパミンをあまり放出しなくなってくると、不足感が出てきて、元気が出なくなってきます。ドーパミンが少なくなるとまた薬がほしくなります。更に少なくなるともっと元気がなくなって、薬がないと居られなくなってしまいます。これは実は物質依存だけではなく、ギャンブルやセックスといった本能的はエクスタシーを感じるような行動嗜癖にも当てはまると言われています。ただ頭を割って見たわけではないので一応仮説ということです。
次に「自己治療仮説」があります。先ほどは報酬という話でしたが、心理学で分かっていることで、人は楽しい行動をやめることより、苦しさを消してくれる行動をやめることのほうが、やめにくいのです。自己治療仮説はそこからきて、不快感情を緩和してくれる治療法としてアディクションは使われるのではないかという説です。お酒や薬を使えば確実に快楽は得られます。山登りみたいな行動で快楽を得られるかどうかは、不確実です。ギャンブルみたいな行動で快楽は確実ではないだろうと思われるかもしれませんが、実は勝てるかもしれないという期待感が報酬なのです。あとパチンコの場合一人でいられて、負けたとしても次に勝つことに集中できるということで、十分快楽が得られる。患者さんを診ていると、そういう自己治療としてギャンブルを使っている方が多い感じがします。この「自己治療仮説」は今はアディクションの中心的仮説になっています。
「自殺防止対策としてギャンブル障害が注目された理由」という研究がありますが、うちの大学の田中先生が出した研究です。辛さとして一番わかりやすいのは「自殺したい、死にたい」という経験なんですが、大うつ病に該当する人たちの自殺念慮や自殺企図に比べて、薬物、アルコール依存症の人たちの自殺念慮は高い。ギャンブル依存症の人たちのそれは更に高いのがわかります。
「素面に耐える」ということですが、このように自己治療方法を覚えてしまうと、素面でいることに耐えにくくなってしまいます。これは埼玉精神医療センターの成瀬先生がよく使われる譬えですが「クーラーと風鈴」。昔は夏は暑さに耐えるのに風鈴だけでしのいでいた。それがクーラーを使うようになると、汗腺も減ってくるのか体が慣れてしまって、クーラーなしで夏を過ごすことが難しくなります。同じ熱さが耐え難い熱さに感じてしまうからです。同じように依存症になってからの心身はストレスを素面で感じるよりも2倍3倍に強く感じてしまうのです。よく勘違いされるのは、依存物質をやめたら前の生活のストレスに耐えやすくなるのではなくて、ストレスを感じやすい心身に変わっているのです。素面でそのストレスに耐える訓練をたくさん重ねて、少しずつ耐えられるようになって、最後に依存物質がいらなくなる。そういうものです。
「当院の嗜癖障害治療メニュー」です。ギャンブル依存に関して2014年から医師による個人療法を始めました。2017年12月からは医師による個人療法に加えて多職種による、すべての嗜癖障害を対象とした外来集団療法(KIPP)が始まります。薬物使用障害については2017年から薬物依存専門外来にて対応をはじめ、外来集団療法に入れました。これには相模原ダルクのスタッフも協力してもらっています。アルコール症には古く30年近く前から治療してきましたが、医師による個人精神療法に、PSWによるアルコールミーティングや心理療法を加え、これは治療ではありませんが自助グループAAに院内会場を提供してそこに参加。そして2018年から外来は集団療法に参加も可能となりました。
「行動をどう変える」ということですが、好ましい行動を減らすための手続きがあります。好ましくない行動を増やすための手続きもあります。短期的結果を求め、さらに長期的結果を出していくように導いていきます。ここで大事なのは「本人自身が選択すること」です。戦略は最終的に本人に決めさせる必要があります。なんで大事かというと、行動の変化には実験する必要があるからです。仮説、実験、結果、結果の検証、さらに仮説の修正、実験方法の変更、というプロセスを踏む必要があります。この際自分自身の課題として主体性を持ってもらう必要があります。主体的な場合、失敗したら自分のプランが悪かったと反省モードになり、前進の可能性があります。次にどうしていけばいいだろうと主体的に考えます。それに対して周りが決めたことに従う受け身な場合は、失敗したら周りの立てたプランが悪い、自分が悪いわけじゃないから反省がない、前進が乏しいです。教育心理学などで分かってきたことですが、罰を与えれば確かにその行動は減りますが、一時的にとどまります。更に罰を与える人がいなくなると、好ましくない行動は逆に増えてしまいます。罰はそれを与えている瞬間にしか意味がないのです。ですから刑務所に入っている間には薬をやらないけれど、出たとたん薬をやるのは、病気というよりそもそも人間の行動として当たり前だといえます。
「新しい行動を作るために必要なこと」。ここで大切なことは具体的であることです。曖昧ではいけません。成果を急がないことです。出来る所からやってみることです。目標が大きすぎてはやる気をそぎますし、厳しい言い方で~しかありませんと迫っても逃げてしまいます。成果は急ぎませんが結果はすぐフィードバックして誉めます。周囲と比較しないことも大事ですし、新しい行動をするための居場所があることも重要です。
「アディクションに関する問題解決において大切なのは」現在の問題を少しでも減らすことです。問題の再燃の確立を少しでも減らすことです。仮に再燃しても対処できる程度に、リスクマネジメントすることです。この辺りを目標として私は治療しています。心理相談でもやることですが、その人にとって「本当に困ること」と「何とかなること」を区別することが大切になります。戦略としては原因が分かった方が立てやすいですが、なんとかしようと試行錯誤しているうちに原因がわかってくることも多いです。著名な専門家だって見当違いをすることもありますし、間違ったら認めて作戦を立て直すことも大切ですよ。ただ依存症の常識みたいなものもあるので、そこから学ぶことも大事ですね。家族グループの中で語られるような依存症の常識を知って、引き出しを多くしていくことも大切だろうと思います。
「戦略が必要」。何もわからずにやるよりは戦略を立てるのが大事で、その点「意志の力」に頼るのは危険です。そもそも何をもって意志の力が強いか弱いか判断するのでしょうか。意志というものは見ることができませんので、結局は結果を見て判断するしかないのです。つまりは「意志の力に頼る」という場合、無策の事が多いです。簡単に言えば逃げです。戦略の一つとして自助グループやリハビリ施設や病院を選ぶのも必要だと思います。「害を減らすために」戦略ですから、アディクションはコントロール障害ですから「完全に断つ」のがベストです。でものめりこんだ行動を手ばなすのは覚悟がいります。覚悟が出来ない間は、減らすとか、ましなものを選ぶとか、そうすることもできます。また失敗することで、初めて覚悟が決まるのが人間だともいえます。
「人は目の前のことを重視しやすく、未来を軽視しやすい」人間行動学では知られている事です。より目前の利益を重視して、合理的な判断を出来なくなるのが人間の傾向です。どういう人がそうなるのかというと、アディクションにはまっている人、ADHD(注意欠陥多動症)の人、強迫性障害の人、不安が高い状態にある人、鬱状態にある人、退屈な状態にある人などです。反対に、安心した状態にある人、楽しい状態の人、自信を持っている人は、合理的に価値判断を出来る人といえます。アディクションで失敗した後の人は、退屈して何もしない状況に追い込まれます。周りに追い込まれる場合もあるし、自分で追い込む場合もある。遠くの報酬を受け取るより目の前の報酬のほうがとても大きく見えるようになる。ですから反省することは大事なことなのですが、反省して自粛した状態に置かれると、余計目の前の依存物質にひかれやすくなる、と言えるのです。だからこそ代わりになる楽しいこと嬉しいことを見つけていく必要があります。
ダルクに入るといろいろな時間の使い方が経験できます。レジャーがあったり、スポーツがあったり、仕事したり、喧嘩したり、指導したりされたり、それで時間が紛れていいのです。ギャンブルをやめるために代わりの行動を見つけると良いとされますが、漫画をみたりネットを見たり一つだけの行動では飽きるに決まっています。色々なもので「やめたことで空いた穴」と埋める必要があるのです。
ところで「依存症専門病院で何をするのか?」昔は医者が患者に害について教育をしてやめるように説得していたそうです。でも医者に患者がアルコール・ギャンブルの害を教えてもらうのが有効でしょうか?違法薬物の使用やギャンブルの害を身をもって感じている人は、患者さん自身です。「どうやったらやめられるのか、やめ方を教えてほしい」と言われます。そこで「リラプス・プリベンション(再発予防)」、使ってしまった後の対策が大事になります。再発予防の骨子は、依存性物質の使用に至る引き金を同定して、治療的動機付けをしたり、自助グループへ紹介したりします。テキストを用いて行うので、誰でも実施可能なのも特徴的です。
「アディクションになる人の特徴」として、埼玉精神医療センターの成瀬先生は、6つあげています。「自分に自信がない。人を信じられない。本音を言えない。見捨てられ不安が強い。孤独でさみしい。自分を大切にできない。」これを当院の心理検査の結果に照らして私流に言い換えれば、「ミスへの囚われが強い。恥の意識が強い。見栄っ張りの負けず嫌い。本音を言えずウソをつく。正直に話す練習が必要。」といった人達です。最後の練習では不特定多数の人に受け入れられる場が必要なのです。そういう点でも集団療法がアディクションの治療には、ぜひ必要なのです。
最後に「家族へのアドバイス」です。質疑応答でよく話すことをまとめておきました。まず起きている問題を整理する。これはなかなか一人では結論つけにくいもの、人に相談することも大切です。知り合いに相談するとパワーゲームになってしまったり、変な思い込みがあったり、貸し借りが出来たりしがちなので、限定して相談した方がいいかなと思います。あと自分自身をケアする。自分の人生は自分のためにあるので、誰かのための人生にしない事ですね。自助グループや家族教室に参加するのは、自分のためにもなるし、背中を見せる効果もあります。情報を集めることも大事です。結構大事なのは、治療者になる必要はないということです。治療者は他人であったほうがいいです。責任がないからこそできることはあるのです。ご家族は治療者にならない方がいいです。また、自分の課題と本人の課題を分けること。依存症本人が依存物質を本当にやめているかどうかは、わからない事です。やめたからといって気持ちも晴れるかというと、そうとは限らないからです。行動が変わっても気持ちが変わらないことも実はある。それを見て不安になる自分をどう落ち着けるかはとても大事なことです。アディクト本人の課題と家族の課題はわけるべきです。
「家族の自助グループの意義」。ここに来られているご家族は理解していると思いますが、分かち合い、孤独感の解消。そして希望を見出す。その前に陥りやすい失敗を知ることがあります。うまくいっているケースが起きてそれが希望につながることあります。でも失敗しやすいケースもままある、失敗についても引き出しを多くしておくことが大事です。ご家族も新しい生き方をしている人として、背中を見せることができます。そして自分の課題と他人の課題を分けて取り組むこと。これはまさに「平安の祈り」にあるように、「変えられるものを変える勇気、変えられないものを受け入れる冷静さ、そして両者を識別する知恵を与えたまえ」と記されていることに重なるのです。
文責:伊藤