<2010年1月家族会報告>
2019年1月18日(土)午後1時半~5時 22名参加(18家族)
講師:相模原ダルク代表 田中秀泰 (パワーポイント、ホワイトボード使用)
高澤 今日は雪降る中ご参加ありがとうございます。2点ご案内があります。2月2日の日曜日、うちが主催になりますが、第4回NA南関東エリア相模原グループオープンスピーカーズミーテイングがございます。また1月27日に相模原市精神保健福祉センターで依存症家族教室を行うということです。うちの家族会のメンバーから5名の方にご参加をお願いしております。
田中 今日は大雪の中ありがとうございました。いつも外部の先生お願いしておりますが、今月は代表の私と、来月はうちのスタッフが話をいたします。こちらに引っ越してきて約1か月になります。外身も中身も充実してきました。高澤さんが代表理事、金田君が施設長、という新体制で臨んでいます。面接の方も高澤さんと金田君にお願いしていきます。家族会に関われるスタッフの数もこのように増えました。親と会うと治療からそれてしまいかねない状態から成長した人達です。ダルクが始まって6年と何か月ですけど、少しずつ進んできたと思います。
家族会にこれだけの人が来ていただけるようになった意味合いを感じます。僕は子供がいます。今日も娘が雪降ったので送り迎えしてというので、ここに来るのが遅れてしまいました。それくらい子供はかわいいですね。私自身が親でそれが動機でダルクに入って薬をやめることにつながった。子煩悩で甘やかしてしまう親です。もう一つ、当時の奥さんと今も家庭をもって子育てをしている立場です。離婚せず子育てもしながら回復を続けているのは、日本全体のダルクスタッフの中でもモデルケースは少ないと思います。三つ目に僕は自営業をしていたので経済的に余裕があり、全て自費で入寮費をまかなっていました。そのような道筋で僕が回復してダルクを開いたという点で、これから話すプログラムの効果とか意味を伝えられるかと思います。ご家族の思いが身に染みてわかるのです。
家族会で話す講師の先生方はすごいし、病院も素晴らしいです。でも専門家であっても病院であっても、本当に家族が困るのは夜中ですし対応できません。精神保健福祉センターもいい人達です。でも「アイメッセージで伝えましょう」なんて教えられても「この野郎と」怒鳴られればできないものですよね。その辺のことに対応できるのは、僕の生い立ちとか経験が役に立つのではないかと。そしてダルクの目指すところや回復の考え方も6年たって形づいてきたかなと思いますので、お伝えしたく思います。
わが子がダルクに関わっているなんてことは内緒にしたいですよね。父性と母性の話をしますけど、最初は病気のせいにすることも必要です。病気だからこの子は少年院行っても仕方がないと。だんだん進んでいくと治す自立する段階に進めていかないと。子供は最終的に親にきます。ですからこれからのお話を毎月聞いていただいて、例えば家族会の講演だけ聞いてミーティングは帰っちゃうとか、お父さんが来なくてお母さんだけ来るとかでは。煽るわけじゃないけど、回復は大変なことなんだ、やっぱり親しかできないことがあるとわかってほしい。ダルクが壁になるにしても、やっぱりお父さんお母さんが連携していかないと、自分がやるんだという気持ちをつけていってほしい。手紙を書かない家に入れないといったルールの前の、病気に立ち向かう姿勢をわかっていただきたいのです。
依存症を直す特効薬はないです。回復って何でしょうか。薬さえやめればいいのでしょうか。依存症を車に例えます。依存症の子は、刑務所行っても少年院行っても親から金をせびっても、車のタイヤさえ変えればなんとかなるんだと思っているんです。何か困っているからここに来るわけです。本人が困ってなくても親が困ってるから来るんですね。本人は学校行きながら、仕事しながら、この彼女と付き合いながら、と言いつつ車は変えたくないのです。タイヤだけ、ハンドルだけ、変えればまだこの車に乗れるんだと思っているわけですよ。僕らが言いたいのは車自体から降りなさいよということです。その決心はなかなかできない、習慣を変えるというのは人間一番やりにくいことですね。出家するお坊さんは全部手放して山にこもるんです。それはお坊さんが意志が強いからではないのです、逆に弱いからです。同じ車に乗りながら自分を変えることができれば、その人こそ意志が強い人です。僕はできなかったです。ダルクに行って全部手放さなければ。ただ奥さんもいて自分の会社もありましたから、自分で仮想的に物質的に無力になり手放す必要がありました。
親もそうではないでしょうか、息子だけ変えれば何とかなるかな、と思っていたら中途半端に終わっちゃうんです。だからと言って車のすべてを変えよとはいいません。各家庭の考え方があります。ただ、依存症は進行する病だから死んじゃうなんて、煽るつもりはありません、でもお父さんお母さんも、息子さえ変わればなんとかなるという考えを変えないと。壊れた車はもうだめです、修理するより乗り換えちゃうほうが楽ですよ。
もう一つは、依存症は慢性疾患でずっと突き放さなければいけないというわけではない、という話です。その子の抱えた問題は、薬物、仕事、性のこと、性格、恨みや鬱とか、発達障害とか、もっといろいろありますよね、高校中退とか、失恋とかも。ダルクに来る時、「薬物依存症は慢性疾患だから一生ダルクだ」という風に考えないでほしい。いろいろな問題がある中で、薬物、ギャンブル、お酒、この3つの問題は引き分けに持ち込むという考え方です。ダルクに駆け込んだ最初当人はわからないですね、3か月やめたことがあるとか、刑務所でたから絶対しないとか。そう思っている時の気持ちは本気です。でも依存症には勝てないです。はっきりしています。これ以外の仕事や家庭や、中退のこと発達障害のことなどは、勝てますよと。ダルクのヒエラルキーの中で修練すれば、この辺は勝てるようになります。総合的に見てトータルは勝てますよというイメージ作りが重要です。今までは依存症が厄介だからそれに全部巻き込まれて、全部負けていたんです。でも勝てる問題もある。それは人により、性格の問題もあるし、女性と男性では違うかもしれない、年齢もあります。依存症の種類によっても違います。だからダルクでクリーンだけ続けていてもダメなんです。やっぱりダルク依存になっちゃうという話です。
これからスライド(アニメーションビデオ)をお見せしますが、4年前アメリカで話題になったものです。アメリカは依存症先進国です。そこで話題になったものです。
<ラットパーク、ネズミの楽園の話>要約:従来薬物使用が薬物依存症を作ると考えられてきた。しかしそれならば手術で入院した人達はモルヒネを継続点滴されるが、それで薬物依存症になりはしない。ベトナム戦争の戦場で麻薬を使った兵士も多いが、帰還して通常の生活に戻って薬物依存症になった人は多くはない。1970年代に異論が出てきた。50年代群れから離れて孤独に置かれたネズミは自分で水と薬物をとれるようにしておくと、水より薬物を好んで依存症になって死んでしまうという実験が知られていた。では孤独ではなく群とともにいるネズミに薬物を与えてみたらどうなるか?1977年に心理学者アレクサンダー・ブルースらによる実験では示唆的な結果が出た。ネズミを二つのグループに分け、独房の中のような環境に置かれたもの(植民地ネズミ)と、遊びも恋もできる楽園のような環境に置かれたものと、それぞれに水とヘロインを摂取できるようにして経過をみた。すると楽園ネズミでは薬物に耽溺する率が格段に低かった。更に薬物で依存症状態になったネズミを楽園に入れてやると、離脱症状に悩まされながらも他のネズミように薬物から離れて健康なネズミに合流できたのだ。これが示唆するのは、依存症になる人は薬物があるからではなく、「孤立」しているからではないかということ。そうなると依存症からの回復のためには社会から排除するのではだめだろう、楽園ネズミならぬ暖かい人間関係のある社会に戻してあげる方がよいではないか、という見方が出てきた。これまでの処罰・治療のやりかたを変えるきっかけになった実験である。回復しやすい社会を作る必要がある。アディクションの反対はコネクション(つながり)だ、というわけだ。
依存症の定義は専門書に書かれていますが、そういった医学的定義の矛盾を示唆するものです。ヘロインとはモルヒネを10倍に薄めたものだそうです。従来20人の人にヘロインを20日間投与したら、うち18人は依存症になるといわれていました。だけど10倍も濃いモルヒネを手術で投与された人が依存症にならないのは、どうなんだという疑問から、このような実験が行われました。その結果欧米では、ネズミの楽園みたいな治療共同体(ダルクみたいな)が必要だと。また厳罰化よりもハームリダクションといって、無料で清潔な注射器を使わせたほうがいいじゃないか、そのほうがC型肝炎の感染も防げるし、といった流れになってきています。アジアではタイで2月から医療用大麻を解禁しました。にっちもさっちもいかないんです。薬物使用が止まらないなら解禁しちゃおうというわけです、そのほうが孤立化して刑務所に送って処罰するよりもメリットがあるだろうと。世界的にこうなりますよ、なぜなら薬物が依存症を作るという考え方は間違っていたから。
じゃあ、楽園をご家族が作ればいいのか、パートナーが性格を変えて迎え入れればいいのかという話です。これまでやってきましたよね。家族は刑務所に差し入れし、パートナーが泣きながら回復を祈ってきました。なぜダメだったのか。そこに母性と父性の問題があります。今話した楽園は母性の世界、何をしても許す無限の愛。じゃあ自立とか厳しさといった、父性はいらないのか。怒ればいい、殴ればいいという話ではないです。父性とは「一貫性」です。とにかく曲げない。力ではなく規律を守らせること。それがしっかりしているご家庭は健康です。「一貫性」これがなかった所にいきなり作ることはできないですね。他にその子の一貫性をもたらすものはどこにあるか、私の経験上ですが現在の日本ではダルクしかないと思います。「12ステップ」という一貫した考え方があるのです。我々のダルクはこの一貫性がしっかりしていると思います。こうした考えで回復するんだよ、依存症から回復して人生を楽しんでいる憧れの存在とキャッチボールができる中で、回復するのです。
熊の木登りの話です。子供の虐待が注目を集めていますが動物から学ぶことがあります。自然の厳しさの中にいる動物には引きこもりはありません。熊は子供に木登りを教えます。子熊はなかなか上手に登れないながらも、ここまで登ったよといちいち母親を振り返ります。すごいねと母親に励まされます。どんどん登れるようになって天辺に来た時、振り返ったら母親はもういないのです。人間はいかに子供を完璧にして社会に出すかと考えます。でも不完全で弱いと、子供は群れなきゃいけないと考えます。人の話を聞いたり人に頭を下げたりして成長していきます。完璧に育った子供は謙虚ではなくなりますね。家で育て上げてなんて考えなくていいんじゃないでしょうか。
では相模原ダルクはどんなダルクか。(パワーポイント)乱用を越えて依存症になってしまった人が入る施設ですが、一次予防にも力を入れます。社会に働きかける啓発活動で、学校講演、エイサー公演、ニュースレター発行とか。二次予防としては、乱用期の方への働きかけ。精神保健福祉センター(FLOW)に協力したり、北里大学病院のプログラム(KIPP)に協力したり、多摩の精神保健福祉センターのプログラムや八街少年院の薬物離脱指導、あとは相談事業です。相談事業を6年間やってきた感想は、本人が「助けてください」と、降参してくるケースはごく稀です。家族が心配してこられて、例えば刑務所にいる子供のことでと相談に来られる。
ダルクは三次予防の施設、2013年相模湖の近くで始めて、2020年現在4つの寮から、ここのデイケアに42人が通っています。依存症は関係性の病気です。両親、友達、仕事の関係、一般のお店の人たち、そういう人間関係全部から外して、本人をまず相模原ダルクに持ってきます。僕は多摩の総合精神保健福祉センターにつながったころ、迷いましたよ。友人にしてもいい友達と悪い友達がいます。悪い友達を切るのは当たり前です。いい友達と付き合うのもわかります。でもグレーゾーンがある。それはどうしようか迷いました。どこまで切ればいいのかわからない。悩みました。結論は全部手放さなければダメでした。さっきの車の話と同じ。全部一回手放さなきゃダメでした。
ダルクに入寮して共同生活をしますが、顔の形が違うように、身長体重も違うように、家族のある人もいればない人もいるし、本当にそれぞれですから一律にはいきません。今ダルクにいる人だけでなく、病院にいる人、刑務所にいる人、それぞれに対応してあげなきゃいけません。始めた当初は最低でも2年だと、3年はいさせたくないと思いました。でも6年やって3月でクリーン10年になりますけど、習慣を変える、生き方を変えるということは、本当に大変なことです。僕がいくら有能でも僕は利用者を変えられない、一緒にいてあげることしかできない。そういう無力さがだんだんわかってきました。だからこそ会えない息子さんのことを家族に伝えなきゃと思います。飲んじゃった、使ってしまった、出ちゃったでもいいと思いますよ。ダルクの考え方、車をどういうふうに手放すか、進路のことも相談したい。もっといえば両親とも来てください。頭から爪先まで家族会につかって下さいと言いたい。話あっていきたい。回復するのは息子であり娘です。本人です。僕らは何もできない。
ダルク依存からどのように出るか。僕はお金があったからなかなかプログラムにつながらなかった。奥さんに離婚されたくない一心でしたから。幸か不幸かダルクを転々としたため、いろいろなダルクに実際に生活して良い所も悪い所もみることができました。その中で必ずやりたいことがありました。ステージ制です。なぜかというと10年くらいダルクにいる人がいるんです。それじゃかわいそうです。ダルクから次の道がないのです。それを作らなきゃ。ダルクから出た後の就労には運もありますが、まずは自立しようと思うことが先決です。最初の人も10年目の人も一日2千円では、出ていく気がなくなりますよ。少ない生活費から上がっていく、努力すれば生活が豊かになる、社会の疑似体験をしてもらいたいと思ったのです。海外の回復施設を見てびっくりしました。それを参考にステージ制を導入したのです。ステージ制は上に行けば行くほど、責任が大きくなりますが、一方でもらえるお金も自由も大きくなるというものです。
ダルクのプロググラムでは、まずは断酒断薬。ミーティングのほかにスポーツやエイサーで体を動かす。メリハリをつけることが必要です。大体他のダルクは一日3ミーティングですが、僕は体を動かしてよく眠れるということも大事だと思うので、午前はピアカウンセリングというミーティングで、午後の活動には畑作業や12ステップで書き出す作業も行いますが、プレジャーとして遊ぶ機会もあります。そういう経費は惜しまずかけています。そして夜は自助グループに参加。まだまだ改善の余地はあると思いますが、十分効果は出ていると思います。社会復帰に向けて、社会常識を身に着けるプログラムもこれから増やそうと思います。
家族会の顔ぶれをみるとお父さんが少ないです。お母さんが父性と母性を兼ねて頑張っているご家庭が多いです。親御さんがダルク任せではなくて、最終的には家に帰ってくるんだからと腹をくくることのほうが、手紙の書き方とか刑務所の差し入れだとか小手先のテクニックよりもはるかに大事なのです。だから回数を重ねて、根本的な考え方を変えてほしい。煽ることや不安を掻き立てることは言いたくないですが、家族としての腹積もりは大切です。大変な病気になったんだから、生きるか死ぬかだと。命がけで向き合う気持ちがあっての、テクニックですから。それを来年度やっていきたいと思います。
文責:伊藤