<11月家族会報告>

2019年11月16日(土)午後1時半~5時 21名参加(17家族)

講師:朝倉 崇文先生(北里大学東病院 KIPP<依存症治療プログラム>担当)

アディクションってなに?

~「やり過ぎる」をどう扱うべきか?~

 

北里大学東病院の朝倉です。3月から北里大学と合併しますので、北里大学病院と言っても同じです。

まずは事例から紹介します。事例Aは52才男性、公務員。鬱病、ネット通販で副業、自殺未遂・・・このような人に相談されたらどうされますか? 治療につなげたりしますね。この人の副業がギャンブルであったら、反応はガラッと違いますね。・・・このような人にはどうされますか? 実際にはギャンブルしたことを責めるという反応が多くなります。次の事例は、同じ状況で薬を飲んだら出社できるようになった。会社に出られるようになったので、自殺企図はないです。・・・違法な薬物を使用したことを非難しますか?

事例Bは55才男性、会社役員。父が鬱病で自殺している。出世して偉い人になったとたん、お酒が増えて大量飲酒者になった。会社に大きな損失を与えた事を非難しますか? 飲酒した事を責めますか?・・・実際は政治家の中川さんです。酩酊会見ということでマスコミに叩かれて、政治家止めて。後に自殺されています。依存症で世間で非難された方々ですが、案外真面目な方で、社会的に成功した方も多いです。

そもそも依存症って何でしょう? 立場によって多少定義が違ってきますが、精神医学では本来「依存症」という言葉は物質依存(サブスタンス・アディクション)のことでした。それが行動にのめり込むことも含めるようになりました。海外ではアディクションではメジャーな言葉ですが、日本では翻訳の問題もあって、「嗜癖」というよりも「依存」という言葉の方がなじみやすいですね。依存症と嗜癖行動は違うんだという意見もありますが、ほぼ同じです。

のめり込む行動=アディクションの歴史をひも解いていきましょう。人間が何か過度に物質にのめり込んでしまうということは昔からあります。紀元前2200年に古代中国で禁酒令がありました。以降古代国家ではどこでも一度は禁酒令がありました。600年頃ムハンマドが酒を禁止しました。イスラム圏では今でも人を惑わせるものとして禁止されています。日本は数少ない禁酒令のない国です。日本では賭博禁止令が689年にだされました、当時の天皇陛下が賭博にはまっちゃったらしいです。ただ禁止したところでアディクションを止めることはできないので、禁止して解除してという歴史が繰り返されてきました。その中で安全な薬を作ろうという試みが世界中でされて、1800年代にモルヒネという薬が癌の治療などで開発されました。安全な心を軽くする薬として貴婦人らに流行しましたが、依存してしまうことが分かりました。安全な薬として作られたものとして、日本でメタンファタミンが開発され、ドイツでアンフェタミンが開発されました。戦前は労働者に配られ、戦後は薬局で売られたヒロポンですが600万人が使用したといいます。これも安全でないことがわかりました。安全な薬ができれば依存症がなくなるかというと、そうではないことは歴史が証明しています。禁止してもうまくいかないことも歴史が証明しています。治療という概念が1900年代から考えられましたが、その頃は身体から薬を抜けば止められるだろうと考えられたのですが、そうではなかった。又使うようになってしまう。どうしてだろう。いろいろ試みられて道徳面や宗教面でいくらか回復する人もいましたが、なかなか難しかったのです。

その中で、1930年代ですがビル・ウィルソンとボブ・スミスとの出会いから、AAが立ち上がります。禁酒法時代なんですが今ほど厳しくないので飲んで依存症になる人はいるんですね。ビジネスマンのビルが出張先で教会に電話してカウンセラーを紹介してもらう。来た方がやはり依存症で2人で話した結果、何年ぶりかに一日飲まずにいられたというのです。要は治療というより、聞き、話すということ。このような集団療法が成功して、その後12ステップができてAAとなり、世界中に広がりました。その後これをもとに別の治療法も開発されてきました。要は依存症という「社会的問題」を「疾病概念」に変換した。病気なら治療ができると。ただその治療法を確立したのは医師や病院ではなく自助グループでした。当事者たちがやったということです。弊害をなくすために何が必要なのかと考えた時、禁止や罰ではなく、当事者活動が有効であったのです。

精神障害として、生物学的要因(身体依存、耐性)が考えられます。ドーパミンニューロン仮説もあります。要するに脳の機能が変わってくる、ちょっと怖い話です。分かりやすい仮説として最近提案されているのが「自己治療仮説」です。精神的な辛さを消すために使う。結構手軽に使えるもの、使ったらほぼ確実に酔ったリ興奮したりできるものを使いますね。薬物依存症の人になぜ薬物を使うのかと聞くと、過半数の人が苦痛軽減が目的です。快楽追及の人はむしろ少ないのです。

素面の状況に耐える時に薬物やギャンブルなど存対象を使ってしまうことが、依存症全般にいえます。患者さんと面接していると、だんだんストレス対処に弱くなっていることが感じられます。埼玉の成瀬先生も言っておられますが「クーラーと風鈴」の話しです。暑さへの対処ですがクーラーに慣れてしまうと、団扇と風鈴の時代には戻れない。これは多くの人が感じていることですよね。薬物依存症の人はクーラーに慣れた人にたとえられます。ではそもそもクーラーのある夏しか経験してない人はどうでしょう、暑い日に風鈴で耐えられるでしょうか? ということは薬物無しの生活に慣れることは、回復(もとに戻る)というより一生かけての成長課題となるでしょう。まもなく団扇も知らない子供たちも出てくるでしょう。また生まれた時からゲームやインターネットに触れている人たちはどうでしょう、それのない生活に耐えられるだろうか?

どこからがアディクションか? 軽度から重症までありますが、線引きが難しいです。やりすぎて困る事が起きるのに、やりすぎてしまう状態が「続く」のがアディクションといえます。「工夫してもやりすぎてしまう」のが本来のアディクションですが「適度にやるには工夫が必要」というレベルは? 診断基準をまじめにつけると、このあたりもアディクションに入ります。コントロール障害ととれば、アディクションに入ります。「物質乱用、依存、中毒」と色々な言い方がありますが、どう違うのでしょう? 依存は物質使用のコントロール障害です。乱用は使用上のルール違反です。中毒は物質使用による心身のダメージを指します。たまにしか飲まないけど飲むたびに暴れるという人は、おそらくアディクションではないですが問題飲酒者ですから飲んではいけないですね。異常酩酊とか酒乱とか言われます。介入が必要です。違法薬物を使う人は一回でも乱用者です。処方薬のような合法薬物でも、使用方法でルール違反があれば乱用として治療しなければいけません。離脱症状で幻覚妄想が出る人もいますし(覚醒剤性精神病)、ウェルニッケ脳症といった認知問題を持つ人もいます。依存症以外にもこういった症状は精神科の治療対象となります。

治療するうえで、なぜその人は嗜癖するのか、なぜその人は使いやすいのかといった全体像をみなければいけません。元々の弱さ。生まれ育ちの問題。大人になってからの失敗からくる自暴自棄。ここから逃げようとして依存症に行く人もあれば、強迫行動に行く人、摂食障害に行く人、暴力や自傷に行く人、など様々な対処があります。ふつうの人は依存症の結果起こった問題に困って治療につながります。例えば借金や健康被害、自殺念慮や詐欺横領、逮捕、暴力、といった問題ですね。依存症の原因になった大本の問題ではなく、こちらから直したいと思う。ですから私の治療の方針としては、大本の問題に取り組むというよりは、現在の問題を少しでも減らすことを狙います。さらに問題の再燃の確率を減らすこと、再燃しても対処できる程度にリスクマネジメントすること、を狙います。その人にとって「本当に困る事」と「なんとかなること」を区別して、目標を立てさせることを重視しています。ただし借金を返済すれば再びギャンブルに行きやすい、肝機能が良くなればまた飲めると思いやすい、仕事につけばストレスがかかる上にお金の余裕ができて薬を買いやすい、といった依存症の一般常識は踏まえておかなければなりません。要は戦略が大事です。意志に頼るというのは何も考えてないと同じ。結果を出すためには戦略は必要。その一つとして自助グループも提案します。アディクション自体が「ほどほどにできない」が中核の病気ですから、完全に断つのが確実です。だけど自分が問題を乗り越えていくために選んだ行動を止めちゃうというのは、すごく大変なんですね。多少の害を減らすだけでも良いという考えもあります。減らす過程に付き合うよと。失敗することで、初めて断つ覚悟が決まることもある。本人に主体性を持たせる事がないと、そもそも成功しません。戦略は最終的に本人に決めさせます。あなたはこれをやりなさいと言われて、それで失敗したら人のせいにしたくなりますね、前進は乏しいです。自分で決めたプランで失敗したら、反省モードになります。前進の可能性が生まれます。

行動をどうやって変えていくかと考えた時、本人に考えてもらって、仮説、実験、結果の検証、仮説の修正、実験方法の変更、というふうに進めますが、ここで大事なのは検証にあたって嘘をつかないことです。正直に話せる場の必要があります。ここがとても大事なことです。嘘をついてしまっても、じゃあどうやって嘘をつかないで行くか、という話を個人療法の中ではやっていきます。新しい行動を作るために必要な事は、具体的であること、成果を急がず結果を決めつけないこと、出来る事からやってみることです。結果についてはすぐにフィードバックする、褒めまくる。そして結構大事なのは周囲と比較しないことです。最後に一番大切なことは、新しい行動を作るための居場所があることです。

アディクションになる人の特徴があります。埼玉精神医療センターの成瀬先生によると「自分に自信がない、人を信じられない、本音を言えない、見捨てられる不安が強い、孤独で寂しい、自分を大切にできない」。これを当院の心理検査の結果と照らし合わせると「ミスへの囚われが強い、恥の意識が強い、見栄っ張りで負けず嫌い(完璧主義)、本音をいえない、嘘をつく。」ということは、正直に話す練習が必要と考えられます。この場合ご家族の前で正直になれるかというと、なかなかそうはいかない。というのはご家族には傷つけているとか迷惑かけているという意識があるからです。不特定多数に受入れられる場として自助グループがあります。自助グループについての説明でも、最近は「行くと楽になるよ」というより、「正直になることができるよ」と説明します。

これは国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦先生の資料ですが、集団治療というのはネズミの楽園を目指す事だという話しです。植民地ネズミというのは、ちっちゃい檻に一人ぼっちでいるネズミたち。反対に広々した空間におもちゃも友達もいるネズミたち。それぞれにモルヒネと砂糖と入れた水と、普通の水をあげる。どっちをたくさん飲むかというと、楽園ネズミの場合は半々くらいモルヒネと水とを取ります。植民地にいる一人ぼっちのネズミたちは6倍くらいモルヒネをとります。要は孤独でやることがない環境に置いておくと依存物質をとりたくなるという実験です。もう一つ先の実験として、植民地に居たネズミたちを楽園ネズミの中に混ぜるという実験もします。そうするとモルヒネを取らなくなってくるネズミが出てくるんです。最初は痙攣おこしたりして大変なんですが、だんだん楽園ネズミと同じようになってきて、しまいには見わけがつかなくなっていくという事です。この話を依存症治療に使っていこうとしています。また来たいと思い、孤独を忘れさせてくれる集団があれば、止めて行けるんじゃないかと。そういう場所を病院とか治療施設にできればと思うわけです。なかなか大変ですが。例えば病院で会った人が、自助グループなりダルクから来ていて、その人のいるところなら行ってみようかなと、思えたらいいですね。ダルクも最初入った時は反発したりしますが、段々悩み事を言っていくうちに、ここにいて止めていけるかなと思えるようですね。

分かち合うことの意味ですが、自ら話すことで、自己を分析し行動を変えることにつながります。気持ちを吐き出すことで不安が軽減します。正直になることで自己肯定感を改善していきます。また仲間の話しを聞くことで客観視して動機を高めることができます。孤独感も改善されます。もう一つ、定期的に参加することで忘れるのを防ぐ点があります。飲まない生活を続けて行く中で、忘れてしまいがちなんです、依存症であるということを。定期的に参加すると依存症をやめようとしている仲間に会います。昔の自分を思い出すのですね。かつての自分をみて動機付けを新たにすることができるのです。ですから病院で治療は完成するものではないのです。

でも、見栄っ張りで人を信じないが依存症になりやすいという話しをしました。かつ自暴自棄になっている人。そういった人が自助グループに行け、ダルクに行け、という話に従うでしょうか。なかなか出来ないと思います。まず目の間に居る人間に受け入れてもらったという経験が必要なんじゃないでしょうか。ここが多分一番大事だと思うのです。要は診療室でこの人の話なら聞いてもいいと思えるかどうかです。これは初日に出来る人も結構います。1年たっても出来ない人もいます。もっとも1年たっても続いているならゼロではないでしょう。診察室でそのために大切にしていることですが、アディクションに至っているかいないかという事よりも、その行動によって問題が起きていることを共有出来る事です。例えば奥さんとの問題、借金の問題。そういった問題を減らしましょう! そのために行動を変えませんか? というスタンスで向います。これにより本人との対決を防げるのです。こんな所に来るかと言われたら終わりです。止める止めないよりも、どうやって本人の社会機能を上げていくかを重視する考え方です。別の言い方でいうと、精神科における社会機能モデルです。「疾病モデル」として原因を探って治療するよりも、「社会機能モデル」として機能を保つ術を考える方法です。歩けなくなったら車椅子を使えばいいじゃないか、視力が弱ければ眼鏡をかければいいじゃないか、といったやり方ですね。依存症とはそもそも社会機能モデルで考えるのにふさわしい病気ではないかと思います。

 

ご家族へのアドバイスとしては、次のようなことがいえるでしょう。

「起きている問題を整理する→一人で考えすぎず、誰かに相談する」抱え込まないで相談して下さい。

「自分も疲弊している→自分自身をケアしよう」アディクション中心の人生にしないということです。

「背中を見せる→自助グループや家族教室などに行く。」行く姿を見せて下さい。

「情報を集める→しかるべき時に備える」何か合った時動けるように知識を蓄えておくことです。

お勧めの映画です。依存症を紹介している映画です。

「毎日かあさん」漫画家の西原さんの家族としての体験を描いています。写真家の鴨志田さんのアルコール依存症に悩まされる話しです。「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」西原さんの夫の鴨志田さんが迷いながら治療に取り組む話です。当事者側と家族側と両方の立場が描かれています。

ビデオだけですが「恋人はセックス依存症」英語ではタイトルが「サンクス・フォー・シェアリング」です。まじめですがコメディが入ったもので、自助グループのことがよくわかります。

マンガで、厚労省のホームページにあるのが「だらしない夫じゃなくて依存症でした」。細かく描いてあるので少し長いですが。依存症を説明するには良い材料です。

文責:伊藤