<2021年8月家族会報告>
8月21日(土)1時半~5時 17名参加(13家族)
講師:田中秀泰 相模原ダルク代表
パワーポイント使用
代表の田中です。今日は群馬ダルクのスタッフに講師を務めていただくことになっていましたが、コロナで来られないということで、私が代打をいたします。先月のニュースレターにものせましたが、コロナも大変ですが、この間も家族会やダルクプログラムを継続する必要性をとても感じております。個人的には私も薬に溺れ、家族を犠牲にして、大変な人生を送ってきました。ダルクには回復したいと願う人たちが50人ほど集まっておりますが、そういう人たちと生活していますと、コロナの禍も小さく見えます。依存症からの回復を、今日一日ペースでやっていきたいと思います。「今日一日だけ」を念頭に置かなければ、ああしておけば良かったといった過去の悔いや、この先どうしようという未来への不安から逃れられません。僕たち「今日一日だけ」をテーマに毎日ミーティングをするのです。家族会の皆様も大変な思いをしてこの家族会にたどり着いたのだと思います。月に一回と少ないですが、この家族会に出ていただけば、「今日一日」です。今日一日だけは過去の悔いや未来の憂いから解放されて、落ち着いていられるかなと思います。家族会も毎日したいくらいですが、僕らは依存症者の回復が一番ですから、家族会は月一回しか出来ませんが、続けて参加していただければと思います。
今年の10月でダルクを開いて8年目になります。8年前立ち上げた時は僕と5人が全部でした。一番最初の入寮者がトシさんでしたね。ギャンブルの問題で警察署に留置されていたトシさんを迎えに行って。今は利用者面談や家族面談はトシさんやリュウスケがやってくれています。神奈川では3つダルクがあり、横浜、川崎に続いて相模原が3つめです。市内では北里大学病院が薬物依存症外来を作っており、うちと協力関係もあります。僕が治療を始めた15年前には考えられないことでした。今は80か所くらいあるダルクも、当時は20か所くらいしかなくて、僕も家族もどこに行けばいいのかわからなくて大変でした。ダルク35年の歴史の中では僕も最近出てきた代表者の部類になります。今は相談先も増えて、いろいろな考え方があるものです。ネットで依存症関係の本を探せば500冊くらいでてきます。多種多様な向き合い方があるのがわかります。
相模原ダルクでの治療の特徴は、一律ではいかない、個別性があるということです。アディクションもいろいろ、年齢も経歴も性格もいろいろ、本当に幅があります。ダルクに居る間に止まってさえいればいいと言う考え方ではありません、むしろダルクに居る間にスリップしたり失敗したりしていい。外に出てからやめ続けるために、むしろここで使って下さいと言わんばかりの考え方です。僕はやめて10年たち、ダルクも作りましたが、今もプログラムが必要です。今も変わり続ける必要があると考えています。ダルクのスタッフになったからもういい、卒業したからもういい、というものではないのです。生き方自体の変化が必要なのです。
依存症の予防には、一次予防、二次予防、三次予防と三段階があります。一時予防はまだ使っていない若い人たち向け「ダメ絶対」とほぼ同じです。二次予防は大酒のみの人やギャンブルの問題はあるけどまだ仕事がある人、つまり乱用から依存症への過渡期にある人たちです。三次予防は完全にアル中さんと言われる人たち、覚醒剤で3回も4回も刑務所に行って、あるいはギャンブルで借金を抱えて、見るからに依存症と分かる人達、これが相模原ダルクの対象です。本人がどこかで「止めると決意しながら止められなかった」人たちです。この人たちは直接ダルクに行きませんから「今度止められなかったらダルク行きだね」と約束しておいて、やめられなかったから「約束通りダルクに入ろうね」と進めることが多いです。そのようにダルク外に上位というか、依存症の相談をする機関があるといいですね。相模原市には二つの精神保健福祉センターや、大学病院があって、行政の相談機関もあります。まずはダルクを進めるのではなく家族会を通してダルクを知っていただくこともあります。
相談事業もやはりご家族からです。本人が「私は依存症です、煮るなり焼くなりして下さい」なんていうことはないですね。車の譬えを出します。ここに来る人は、まずはご家族が本人に依存症の回復のレールに乗ってほしいと思うんだけど、本人はタイヤだけを変えればいいと思っています。良くあるのは仕事を変える、奥さんを変えるとか。だけどタイヤを変えようとガソリンを変えようと、この車は事故を起こします。この車を降りて、新しい車に乗り換えなきゃならなかったのです。だからダルクでは携帯電話も没収。携帯にある友達の番号を自分で消します、というようにならなきゃいけません。自分の家にいるのも古い車に乗っているのと同じです。古い車とは、仕事や家族、人間関係だったりします。ただそれぞれの立場、年齢、経済基盤、いろいろありますから、必ずしも全部引っぺがしてダルクに連れてくればいいと言うものでもありませんが、古い車と同様に手放す事が大事なのです。手放さなければ何も入ってきません。
僕ら医者のように薬は使えませんから、一緒に飯食べて、一緒に寝てやって、俺も辛かった、と言い続けるしかありません。でもいずれダルクに感謝する日が来るよと、言い続けていく。そこがお金や物では釣れない部分。なかなかシンドイものですが、それでなければ人は変わりません。ですから相談事業には本人は来ません。来たとしても家族の手前です、親なり妻なりにこれだけ言っておけばいいさと言った程度。本人も自己防衛します、悪気はないのです。ただ、本当にやめられないという気持ちを、本人はどこに言ったらいいのでしょう。それはなくて、苦しいです。問題が起こるまでギャンブルしてきて、尚ギャンブルしたいわけです。それを言えないのも苦しいものです。僕も言えなかったです、奥さんもいて子供もいて、覚醒剤やりたいなんて言える所なかったですよ、こういう所に来るまで。何度も失敗したり、それでもやめられないと、はっきり話をする人の話を聞くと、すごいなと思いましたね。こんな所あるんだと。
こういう人を受け入れて入寮事業を行います。キツイですね。何で入寮が必要なんでしょうか。初期寮では六畳間に三人も四人も寝ているわけですから、むさくるしい。テレビがあっても自分の好きな番組も見られない。自分の家なら好き勝手できていたのに、いきなりこんな所に来て辛いですよね。それがどんな効果があるかということです。代表の僕も、専務理事のトシさんも、施設長のリュウスケも、最初は同じ待遇でやってきたのです。進んでやれるわけではなく、しょうがないと思ってやってきました。ダルクに入寮するのもそうです、刑務所行きたくないとか、ここまで家族に言われたら年貢の納め時だとか。だけど、徐々に団体生活の中で、人を鑑として勉強していくんですね。やはり人間は人間で変わります。付き合う友達や仕事や地域の人たち。良く変わるのも人間、悪く変わるのも人間です。薬では治りません。
依存症というのは、本人の病気だけではないです、取り巻くお父さんお母さん、もしかしたら依存症を知らないお医者さんも巻き込みます。「12ステップ」というプログラムがありますが、その中心は自分の過去を書き出し、誰にも言えなかった秘密を人に話すと言う作業で4・5ステップといいます。すごく恥ずかしいですよ。僕もやったけれど、一回目の棚卸ではまだ話せないことが4つや5つありました。それぐらい色々あったし。またスタッフの話も聞きますと、依存症はその子の同僚や地域が、かなりの部分占めているのだと思います。売人の誘いを断れなかったり、薬の友人がいたり、家族のルールがあったり、親の親もルールに縛られていたり、そういったつながりを感じますね。
先月水澤先生も、「遺伝的要素がある」とおっしゃいました。それは血のつながりで決定されているという意味ではなく、体質もあるけれどむしろ、家族の中に伝えられている物の考え方や行動の様式、家族文化ですね。だからと言って家族が悪いわけではなく、依存症は親の責任でもありません。依存症に育てるつもりで育てる親なんていません。悪い子にするつもりで育てる人もいません。親の思う通りには子供は育たないものです。何らかの依存症につながるものがあったと、家族の中にあったと認めることは必要でしょうね。きついことですが、その子のためにも自分自身のためにも。本人と、ご家族と、社会を分ける必要があります。本人にはダルクに来てもらう。軽症の方には精神保健福祉センターのプログラムにつなげる。病院は、医者によっては薬を過剰に処方されたりするので、どうかと思いますが。今ダルクでは信頼できるお医者さんとタッグを組んで、必要な間は薬を処方していただきます。
今相模原ダルクの入所者46人。アルコール依存症27名、60%です。覚醒剤が11名、その他ハーブや処方薬が6名です。日本のダルク全体でも、覚醒剤だけという所は少ないです。ステージ制というシステムをうちのダルクでは取っています。社会性を身に着けるためです。僕がダルクに入った頃は、10年選手も新人も同じ扱いでした。悲しくなりましたね。僕の場合は仕事もあり、家族もあり子供もあり、薬を止めるはっきりした目的があって入りました。だいたい皆は薬を止めようとなんて思ってないです。どこにも行く所がない人が殆どです。動機なんてどうでもいいとも言えます。クリーン10年といいながら処方薬ボリボリ噛んでいる人と一緒。そういう時代でした。どこも行く所がない人たちが、自炊して共同生活をして、今日一日で薬を止めていく姿は素晴らしいものがあります。そういう一端を一緒に経験できたのは、僕にとって宝なんですけど、なるべくなら治療法をみつけて病気を治してあげたい。そういうわけで欧米から学んで、ステージ制とかプログラムを取り入れています。
それでも個性があって、いつ気づくか回復する意欲をもつかは分からない、つきつめれば本人の自覚ですから。僕らはそういうタイミングまで向き合ってあげる。何回飛び出しても、何回失敗してもいいから、ドアを開け続けている。そうすると本当に回復不能と思われた人が回復していくんです。僕も当時回復不能と言われていましたから。ステージ制でいいのは、お金が違う事です。頑張って自分の役割をこなしていけば、生活費が増える、携帯電話もてるようになる。研修スタッフになればみんなの送迎をしたり司会をしたり、責任も増えていきます。暇でやることないと悪い事しかしません。身だしなみもきれいにする。襟付きのシャツを着ていて、清潔感あるなと褒めてやると嬉しいですよね。少年院から来た子なんか、みんな変わりますよ。
現在の寮です。愛川町にある寮で今13人くらい住んでいます。初期施設として、まず断薬断酒、断ギャンブル。クリーンを作るという一番大事なことをやっています。クリーンを1年出来てから難しい話をします。クリーンを作ることに特化した施設といえます。とにかく動く、食べる、楽しむ、そういうことに専心しています。余計な事しない、夜は疲れて寝てしまう生活を送ります。
デイケアセンター。昼間はこちらに来てもらって、40人くらいで毎日午前中はミーティングです。ピアカウンセリングとも言います。他には12ステップや講演会を聞くなど。従来ダルクは3ミーティングといいました。一日3回ミーティングで「かつてどうであったか、何が起こったか、そして今どうであるか」を話すのです。ちゃんと正直に恥ずかしかったことや負けたことなど話すと、疲れます。午後はスポーツやエイサーや食べ放題など。(コロナでなければ)夏は海や川に行くことが多かったです。夜はNAやGAのミーティングに参加します。共同生活の中でイモ洗いみたいにもまれて初めてわかる事が多いですね。
社会復帰について。今はコロナ禍ですが、それについても考えていきたいと思っています。ダルクは薬物から回復して、回復を手渡していくことが目的です。職業訓練のスキルがあるわけではないのです。専門家に任せたいところです。ダルクにいる間に仕事のストレスでスリップしては元も子もない。今どうするかが先で、先々の心配を考える時間はあまりないですね。
交差依存、クロスアディクションについて。ギャンブル依存でうちに入ったとします。ギャンブルで自分の痛みや寂しさを収めているわけですから、ギャンブルを止めても核心の痛みが止まらなかったら、別のお酒でごまかしたり、人に頼ったり、買い物でごまかしたり、他の依存に変わってしまうことがあるのです。依存の対象が変わっただけで本質は全く変わらずという恐れがあります。例えば大麻で入った子が、回復したからといって夜な夜なクラブでDJをやっていると。これはうちのダルクの回復ではないと思います。暴力団で育った子が、覚醒剤をピタッとやめてから暴力団に戻ったと。これは僕の考える回復ではありません。なぜか。そういう人は必ず別の何かにはまって、結局どうにもならなくなるからです。先輩たちが見せてくれました。僕の見るところアディクションの対象が変わる場合もありますが、長い目で見るとお酒の人はお酒に、覚醒剤の人は覚醒剤におちつくようですね。脳内の報酬系に働くドーパミンの放出、お酒の場合は100単位、覚醒剤は1000単位ですごいのですが、最初にお酒がアンテナにあった人は、お酒があうようですね。処方薬なんて医者が配るのだから20や30いった低いベルですが、それが会う人はそれにはまってしまうのです。それでその子の痛みをいやしているのです。
依存症は脳の病気です。報酬系の問題があり、一度変わってしまった脳の報酬系はもとに戻らないそうです。その子はそういう脳みそなんだとか考えると、しょうがないじゃありませんか。逆に楽になるかもしれません。
依存症は生き方の病気です。依存症につながる生き辛さに向き合い、新しい健康な生き方を身につける必要があります。そのために手間暇かかることをやっていますが、人は人の中でしか変わらないものです。薬物を頼る必要のない新しい生き方を身に着ける、それがダルクのプログラムといえます。(以下略)
文責:伊藤