7月家族会の模様です。

<2020年7月家族会報告>

7 月18 日(土)1時半~5時 13名参加(10家族) 初参加3名(2家族)

講師:相模原ダルク代表 田中秀泰 (パワーポイント使用)

 

代表の田中です。コロナで大変な所お越しいただき、ありがとうございました。来月からまた外部の先生をお招きしております。来月は群馬ダルク施設長です。相模原ダルクは入寮者は40名前後で変わらず。スタッフも利用者も新型コロナウィルスに罹患せずに過ごしています。

先月の家族会では恥ずかしながら自分のお話をさせていただきました。今日はプログラムのこと、そしてスタッフの体験談を話します。回復は誰とプログラムを行うかが大事です。回復の過程で本当に何が大切かわかってきます。大切なのはまず、クリーンです。とにかくクリーンを続けること。1年か2年クリーンが続きますと、今度は本当の自分の問題が出てきます。暴力性であるとか自己中心性であるとか。クリーンが一定期間ないと自分の本当の問題が見えてきません。また体の病気が出て来る人もいます。癌とか出て来るのですが、そのまま外に出て仕事してもうまくいきません。後で癌闘病中のスタッフがいますので、話を聞いてもらいます。

パワーポイント:まず息子さん娘さんが、お酒飲んで倒れちゃった、薬物で逮捕されちゃったとします。燃え盛る炎の前で、何が原因だったのか考えても仕方ありません。まず薬物アルコールを止めること。まず火事を消して原因捜しはそのあとです。

共依存について。僕もある種自分の子供に対して、また母親に対して共依存かもしれません。これは深い意味がありスライド一枚では伝えきれませんが。親が子供に依存するのはしょうがないですね。依存症者が薬物に依存するのはしょうがないですね。風邪で熱がでたのは病気のせいで、その人が悪いわけではありません。体の作用なんだから。同じように親が子供大好き、突き放しなんかできない。それはしょうがないとまずは認めないと。「我々は薬物に対して無力であると認めた」というステップ1があります。それを認めることから出発するしかないということです。僕も高澤も金田も面接していますけど、その子が幾つか、どんな仕事してきたか、またダルクにつながってどう変化してきたか、どのような人に会って変わったか。それもケースバイケースで、ひとくくりに「共依存」と言われても分かるわけがないですよね。個別面接で気を付けてやっています。

依存症とは、その子が薬やお酒やギャンブルや、そういうのを使っている状態をいうのではなく、その子を取り囲む家族、友人、同僚、スタッフ、医者、様々な人を含めての依存症システムです。ですから本人を家族や仕事や、様々な関係から離して、ダルクに入所してもらいます。家族も本人から離れてみて、落ち着けば火が消えますね、それから原因捜しが始まる。家族によっては子供に引っ越した家も教えないと、そういう場合もありますが、なるべくならそこまでならないようにしたいですね。

相模原ダルクの現状ですが、現在42名です。今一番多いのがアルコールで40%超。お酒、覚醒剤、大麻、ハーブと言う順。中高年のアルコールの方がすごく増えています。この方たちは体も痛んで入ってきます。やめてからも癌とか消化器官とかの病気が後から出てきます。そういう病気を乗り越えて回復していく姿が、後から来る人にすごいなと思わせます。回復しながら若い仲間の手助けをします。初期の入寮生で今は亡くなった方ですが、こう言ってました。「ちょうど1年のバースデーの頃にたまたま骨折した。それがなければ出て行った。しかたなく後一年、でもその付録の一年ですごく気付きがあって、自分が変わった。3年たってから、1年前は未熟であの時間が必要だったということが分かってきた」と、話していました。それだけクリーンを続ける必要があるということです。

うちは5つのステージに分けて入寮者にプログラムを提供しています。その理由は、先月もお話したとおり、いろんなダルクにいて、他のダルクには10年ぐらいいる人もいますが、そういう方は初期の人と同じ扱いでは可哀そうです。薬物止まらなくて刑務所に5回も6回も。そういう方は社会に出ても体に力がないし、仕事しようとしてもわからないのです。社会生活の教育も受けていませんから生活保護で暮らすしかないです。でも社会の中で馴染めなくてつまらなくてまた薬に戻ってしまいます。

ダルクが日本にできて35年たちますけど、35年前は薬で刑務所に行った人がしっかり止められたと言うだけで、すごいことでした。僕がダルクの世界に入ったのが15年くらい前。僕のころは奥さんとも復縁して、社会に戻るというのが目標でした。当時は刑務所を出てダルクでクリーンになった、でもダルクから出られないという定説がありまして、それがすごく嫌でした。それで僕はダルク内でステージがあって、上に上がればお金も増えるし携帯も持てると。場合によってはスタッフや就労の道が開けるという疑似社会的な仕組み、ヒエラルキーを作りました。栃木の研修で学びましたし、海外ではこういうシステムがあってそれからも学びました。

ステージ1~5のうち、ステージ1か2はまずクリーンを作る、ステージ4か5になると外にバイトに出たりすると、それぞれ目標があります。ステージ1か2は断薬期で、自炊、畑作業、スポーツ、等に励む。5か所ある寮から毎日ここ(デイケア)にきて、毎日ピアカウンセリングというミーティングをします。家族会の最後にもミーティングをしますけど、家族の方なりに正直な話をして心軽くなってほしいです。僕らは家族の方よりももっとミーティングが大事です。人のもの盗んだり嘘ついたりしてきましたから、しらふになってそれに向き合わねばなりません。クリーンが長くなればなるほど、申し訳ないと思う気持ちになるから、苦しくなります。だから一日3ミーティングでは辛くなります。そこで相模原では午前中はしっかりミーティングやって、午後はボーリングしたり、カラオケや、食べ放題にいったりで、スポーツや遊びで発散します。コロナの間こういうプログラムができなかったのは、とてもストレスだったと思います。有難いことに社会復帰の段階の方もだいぶ出てきまして、3月末に終了式を予定していましたが、流れてしまい来年にもちこして、一緒にやろうということになりました。

依存症は再発する病気です。こういう所に来る子の特徴は、お酒だって美味しいと思って飲まないですね。酔いたくて、良い気持ちになりたくて。そこまでしないといけない普段の気持ちの問題があるんですね。いろいろ辛い気持ちがあったのを、ミーティングを通して仲間の話を聞いて思い出す。5年はクリーンを作らないと、本当の意味の振り返りはできないんですね。ある人の表現では心にぽっかり空いた穴、それを埋めるための薬が必要だったといいますね。他にはお酒とか女性とか、暴力や万引きだったりします。処方薬だったり。その通りだと思います。それも含めてちゃんとしたプログラムをちゃんとした人とすれば、必ずよくなります。

交差依存が起こりやすい病気です。本命の依存物を止めると、依存物を止める苦しみが増えますから、他の依存物に移ることもあります。薬から酒へとか、薬から買い物依存へとか。仕事依存ということもあります。本人はなかなか認めませんが、後れを取り戻したいだけだとか言います、奥さんにも迷惑かけたし、金銭的にも埋め合わせしたいからと。しかし依存が横滑りしただけで、本命の薬に戻っては元も子もないです。

依存症は3つのタイプがあります。物質とプロセスと関係。物質としては、酒、シンナー、覚醒剤、処方薬、危険ドラッグ等。プロセスとしては、ギャンブル、買い物、携帯、ネット、盗み、浪費等。仕事なんかもプロセス依存に入るかもしれませんね。関係依存としては、異性、境界線の崩壊、共依存、ACとか。

長期離脱症状が起こります。以前は全く言われてなかったです。今も精神科では3カ月たてば離脱は終わりだよというのが日本の常識です。プログラムディレクターのポールさんは、アメリカの依存症施設で学んできました。ダルクと似たような施設や家族会で言われるのは、共依存とかよりもまずこれです。1年から2年は、どんな人でも長期離脱障害に苦しむと。記憶障害、睡眠障害、思考障害、感情の浮き沈み、ストレス過敏、身体のバランス崩れ、といったものがあると。落ち着くまでは3年近くかかると。2年クリーンを保つのは家庭では難しいですから、施設に入ることになると思います。その中でどれだけ勉強するかよりも、とにかく2年は長期離脱障害があるということです。ですから1年で出たいと言う人には、まずこれを話します。家にいるお子さんでも、断薬していてもちょっとドアがバタンとするとウルサイっていいますでしょ、過敏ですよね。

回復の文化について。何をもって回復というかの定義ですが。年齢も社会層も違う方たちです。回復したらすべて変わらなければなりません。言葉や話すこと。仕事関係や遊び。飲み物食べ物。服装や身なり。性関係。音楽や読み物。価値観道徳観。要は全部変わらなければいけません。クリーン10年たったけど、昔と同じクラブでDJやってるとか、それは僕の中ではありえないことです。年齢や持って生まれた性格とかありますから、全部上からおしつけて変えると言うのは無理ですけどね。うちで利用者をしている間に2年はしっかりやれば、さすがにしっかりした格好になります。薬物やっていた昔と同じではどうかなというと、本人も反省できるでしょう。わかりやすいですよ。

本当にうちで2年3年やった人と、家族再構築すると、びっくりすると思いますよ。変わったね、良くなったねと言ってあげてほしいですね。そうすると本人もこれでよかったのだと思いますよね。

(スタッフ体験談は省略。アルコ―ル依存症で、癌手術を経験して大きな気付きがあった話。)

 

質疑応答

Q 今の方のお話聞いてとても勉強になりました。病院では治療して治しますが、依存症は生活の中で治していかなければ治らないのだと思いました。

A お寿司の話をします。僕がまだ千葉ダルクのスタッフで、未熟で、自分なりの回復を作りたかった時代です。多様性が受け入れられなくて、こうあるべきだとこだわっていた時期でした。メンバーをかき集めて14.5人で頑張っていた頃です。とにかくとんでもない人が集まっていたのです。その中にすぐ家に帰ってしまう子がいました。家族会がありませでしたから、親ともうまくいきません。親も僕もほとほとイヤになっていたころ、たまたま二人で寿司屋に行きました。当時はダルクでは古い人も新人も皆同じ飯です。でも家にいけばなんでも食える服もなんでも着れる。でもそれじゃだめだと、彼に根気よく話していました。たまたま病院の帰りか何かで寿司屋に寄ったのです。彼は緊張して卵焼きだのかっぱ巻きだのを食べていました。別のコーナーに同じくらいの年頃の若者がきていたんです。その子は偉そうにふんぞり返って、親をババア呼ばわりです。ウニだ、赤貝だ、大トロだと高いやつばかり頼むんです。あまりにもギャップがあったんで、ひらめいたんでしょうね。「ヒデさん、俺あんな恥ずかしいことしてたんですね」と言ったのです。それを聞いてびっくりしましたね。口で感謝しろとかいってもダメですね。いやいやでも何か月とか施設にいて、対極的な姿を見てそれで昔の自分が見えたのでしょうね。「かっこ悪いね」と言ったのです。嬉しかったですね。それから彼はよくなりましたよ。タイミングなんですね。僕一人の力ではありません。こういうのは施設の良さです。その子も6か月間出たり入ったりして、やはり考えるんですよ。もう戻る所はない、これじゃいけない、変らなきゃいけないと思ったようですね。まあこのように厳しくブレずに接することができるのは、人の子だからです。自分の子供では難しい。こういった話を個別面接では大切にしていきたいですね。それができるスタッフも育てていきたいです。

 

Q 就労支援について。

A いろいろ考え方があると思います。本当にそれぞれですね。ステージ4だからこう、とも言えないですね。考え方を固定しないことだと思っています。社会の変化もあります。僕らは就職者をつくるプロでもありません。依存症からの回復がまずあって、それに仕事が付随してくると考えています。卒業して自立するためのダルクです。僕らはまだまだ中のプログラムを充実させていきたいです。自立においてもクリーンが第一です。安全策を第一にと考えます。プログラムの中で学んだことを維持していくことができるような仕事を選べるようであってほしいですね。「ダルク1年たったらから出て仕事したい」というのは、ダルクを出たい口実のようになってしまいます。よく言われるのは、「出たいときはまだ居る時」だと言います。ダルクに「まだ居たい時はもう出時だ」と。それは就労のタイミングにもいえます。実際に仕事してみないとその子にあってるかどうかもわからないですしね。

文責:伊藤