<2022年6月家族会報告>
6月18日(土)1時半~5時 22名参加(15家族) 初参加2名
講師:岡崎有恆先生 (みくるべ病院 院長)
PP使用。印刷資料「イネイブリングを考える」p8。
家族会というのはとても真剣な集まりだと思っています。ここにいらっしゃる家族様は本当に困っておいでだと思いますので、何か少しでも皆様が前へ進めるようなお話をしたく思います。私は講演する機会はいろいろありますが、家族会という場は非常に緊張いたします。
「ステージで異なる悩み」そもそもどうやったら薬物やアルコールをやめてくれるのだろう?どうしたら自助グループにつながってくれるのだろう?どうしたらよくなってくれるのだろう?ダルクを出た後どうなっていくのだろう?私たちは何をしてあげたらいいのだろう?どの段階でもお悩みがあると思います。
「変化の必要性への気づき」ご本人が自分で気づいて変わっていく、変えていく。それを続けていく。それがすべてではなかろうか。この必要性への気づきにどういうプロセスを踏むかには個人差があります。大きな事故の後に気づく人がいるかもしれない。依存症回復施設に入って多くの人の話を聞いて気づく人がいるかもしれない。一貫して必要なことは、個人が変化に気づきそれを能動的にこなしていく、それが全てです。
「突き放すのか、手を尽くすのか」そうなるまでにどう対処すれがよいのか。一般的には突き放す、です。ここに居らっしゃる皆様は何かしてあげていませんか?何かできないかできないにしてもどう接したらいいのか、というお悩みをずっともっていると思います。どんなにダルクさんにお願いしても、やはり家族だから。でもね、本当はあまりできることはないのです。家族でいてあげるだけで十分だと思います。いずれご家族との関係が再構築される時がきます。でも何かしたい気持ちもあるでしょう。それを今回何とかしたいと思います。
「イネイブリングの具体例」とは。管理しようとする。機嫌をうかがう。しりぬぐいをする。酒を捨てる、「隠す。問題を未然に防ぐ。肩代わりしてあげる。こんな所でしょう。そもそもイネイブリングの言葉の意味は、「○○出来るようにする」という意味ですね。○○には薬物やアルコールの使用が入ります。飲んだり使用したりする手伝いをする、し易くするような状態を、狭い意味ではイネイブリングといいます。もう少し広い意味で考えてみます。立て替えて買ってきてあげる。金よこせと言われて出してしまう。または、これだけにしなさいよと言って管理下で使わせる行為。見つけた時に隠したり捨てたりする行為。これはイネイブリングではないのか?顔色をみて本人が怒らないように行動する。よくあるのは仕事に行けないからと職場に電話する。行動や結果をコントロールするために、ついついやってしまう行為があります。私はイネイブリングをもう少し広くとっていいと思っていまして、「本人の依存症からの回復を邪魔する行為全般」をイネイブリングと言っていいと思います。何が邪魔するかというと、変化の必要性に気づくことを邪魔する。
管理することがどうして変化の必要性を妨げるのか?それは本人が、自分は飲みだしたら止まらないのだという気付きを遅らせるからです。本人が起こした問題のしりぬぐいをするといけないのか?本人が自分自身で起こした問題の重さに気づくのを遅らせるからです。責任感を弱らせます。顔色を伺っていると何がいけないのか?本人が周りをカリカリさせていることを、不愉快にさせていることを、気づかせないですんでしまいます。総じて本人が変化の必要性に気づくことを遅らせるのがイネイブリングです。本人が変化の必要性に気づくこと、これがとても難しい。なぜ気づかないのだとご家族は思うかもしれない。こんなに滅茶苦茶になっているのに、こんなに酷くなっているのに、なぜ気づかないかなと思うでしょうね。本人を良くしようとしてする行為が、必ず悪い方に行っている。だから「突き放す」というわけです。
「医療者や地域の支援者はイネイブラーになりやすい。」優しく親切に接するというのが当たり前になってしまっているので、ボロボロになっている依存症の方に、やさしく笑顔でウンウンと話を聞いてあげる姿を見かけますが、それは意味がないです。サービス的な優しさは、依存症の特に急性期にはあまり意味がないと思います。
「依存症は慢性進行性の病」これはAAの本にも出てきますね。奥深い言葉です。文字通りにはだんだん悪くなるよという事です。深く解釈しますと、生き方の問題かなと。アルコールや薬物は、少し気分を変えたい時に使いますし、嫌な事辛い事を和らげてくれるものとして使うことも多いです。楽しさを増幅するためだけではなく。楽しみを増幅するだけならいいじゃないかという考え方もありますがどう思いますか?「LSDを使いながらクラブで音楽聞くと最高なんだよな」とか言いますが、それは素で音楽を聴くことを避けている行為だともいえます。美味しい食パンにはハチミツを塗らなくたっていいじゃないですか。ありのままと向き合うということを避ける傾向が、薬物の依存症には多いかなと思います。それは我々も同じです。僕自身も嫌なことがあったら逃げたいです。
「回避しない生き方」嫌なことを避ける、誤魔化す、和らげる生き方、ライフスタイル、これを変えないと良くならんよと。逃げていると素で向き合わないので、成長しないです。NAも、ダルクのプログラムも、霊的な成長を目指していると思います。いやなことに向き合う姿勢がないと、成長がないし、回復もない。何十年アルコールや薬物を止めていたとしても、そういう意味で回復していない人って結構いると思います。気づいている人はもっと謙虚だと思います。回復というのは、ただやめ続けるという物理的なものではなくて、本人の成長を促すものだと思います。嫌な事辛い事に向き合うという作業はとても苦しい作業です。私も一人ではできません。病院の職員であっても、ダルクのスタッフでも、患者さんであっても。やはり仲間と一緒に居た方がいいかなと思います。生き方を変えていく作業は本当に大変だから、同じ方向性を見ている仲間がいた方がいい。そういう意味でもダルクは意味があります。仲間を見ながら変化の必要性に気づいていける場だと思います。
ちなみに私は、食事に関してはまだまだですが、煙草は止めました。もう5年位やめております。妻から煙草止めたらと言われた時には「うるせいな、ベランダで吸って誰にも迷惑かけてないだろ」。妻は悲しがっていました。その時は悲しがる理由がわかりませんでした。後日小学2年の娘が九九をやっていて「そこは違うよ言ってごらん」と言ったら「クッセイナ」。小2の女の子が。「煙草吸ったでしょ。」私はそれでやめられました。(笑)それでも喫煙欲求は出ます。ある時、別のダルクの職員さんと食事をしておりまして、その方は煙草吸われる方で。「吸いたくなっちゃった。もらっちゃおうかな。」そしたら「止めないですよ。先生が決めたらいいですよ」と。それ聞いたら欲求がすっと消ました。(笑)理由はわかりません。やはりプロフェッショナルの言葉はききますね。あれは最高の薬でした。そういう欲求に駆られる時はあると思います。そういう一瞬一瞬を、仲間と乗り越えていくのが良いと思います。
「本人が問題と向き合うように手を尽くす」ですから、家族が何かできるんじゃないかという問いには、これが私の答えです。どうすれば回復できるかではなく、本人が自分の問題と向き合うためのお手伝いを考える。迷ったら、もしかしたらそれは本人の向き合いを妨げていないか、を基準に悩まれたらいい。
「楽を後回しにすること。真実に忠実であること。責任を全うすること」まず自分の責任を果たす、楽しみは後。人はつい楽を求めてしまいます。アルコールや薬物を長らく使っている人は、不満、不安、怒りを素で感じて耐えるということが苦手になっています。待てなくて使っちゃう。だから苦しい事を先にやろうよという考え方が大事かなと思います。
「ちょっとくらいなら…」例えば入院すると今は煙草は吸えなくなります。「入院前に最後の一本煙草吸ってきていい?」と言われたらどう答えます?私は許可しません。「だって『最後の一回』を何回やっているんだよ?それが出来なくてここまできたんだよね。」最後の一回も退院後の一回も同じだから。これ全部につながるから。だからOKしないと私は答えます。すると結構聞いてくれます。一貫性のある物事の考え方というのは響くんですね。「では入院中に親戚の結婚式がある」と。行かせますか?行かせませんか?私はこう答えます「人を祝っている場合じゃないだろう。この入院にあなたの生き死にがかかっているんだ。あなたは今人を祝っている余裕はない、自分の問題と向き合う時だから許可しない。」これは意外と、ご家族様がわからないですね。とにかく入院するということは病気と向き合う事なんです、それ以外のことはやめてほしい。やめてほしいの最たるものは、酒抜き入院です。これは「1,2週間入院させてくれよ、止まらないんだから」というやつです。私はこれはイネイブリングだと思います。使える体にして返すことになるからです。本人の都合で抜きたいからと入院する。それは治療ではなくてイネイブリングではないか。「手を尽くす」といいますが、本人が問題と向き合う方向に手を尽くすことが必要だと思います。
とはいえこれは机上の話で、ご家族様は本当に辛い時が多いと思います。僕の想像の域をこえて辛い事があると思います。そういう時に心の状態を把握して静める方法があるそうなんです。心が荒れている時にはここに書いてあるどの辺に、自分の状態があてはまるかなと見ると、把握できると思います。
「心の状態。三つの煩悩。(トン)貪欲:求めすぎ、期待しすぎ。(ジン)怒り:不満、不快、イライラ、不機嫌。(チ)妄想:思い込み、決めつけ、思い出し。」なぜ人間が苦しむかというと、求める心があるから、それが満たされない時に、上のような気持ちが出てきます。自分の不快を多分消したいのです。でも不快なものを消すことはできないんです。辛くて不快な事象を消そう消そうとすると、余計あたまにこびりついて離れない。
「受診、入院を勧めても、拒否的なケースへの対応」これは正直わかりません。病院に来た人しかみていないから。でもしぶしぶ来た人と話してきて、少しはわかると思います。本当に命の危険がある場合は、措置入院をするしかないでしょう。ご本人が判断力失って現状にしがみついている場合もあるでしょう。つい最近も外来での関わりから入院になった人がいます。私も最初から入院しなさいとは言いませんでした。言い聞かせないようにして対応しました。今辛いんだという事には共感しました。「今辛いんだね。じゃあ何に困っているんだね」。何が危ないのか。どういう危険性があるのかを話して、「とても体が悪そうだから、外来でフォローして失敗したら入院という手もできなくはないけど、その失敗が致死的になりかねないから僕はお勧めできないよ」と。いいましたそれでも「うーん」という感じだったので、最後は「もう入院でいいね」と。最後だけ少し強引でしたけど。(笑)見通しを述べてリスクを共有して、それで入院にもっていきました。最初から入院とはいいません。あなたこうしなさいとも言いません。現実に起こっている問題と、予測されるリスクをしっかり共有したうえで、ある程度指示的に接していくというやりかたです。なかなか難しいテーマです。実はみくるべ病院今年から往診事業というのを始めまして、どうしても動いてくれない患者さんに病院から行くという事もやり始めたところです。
例示1.「33才男性、薬物依存症。一度目の服役を終えて実家に戻ってきた。逮捕後に離婚したが、本人は元妻との復縁に望みをもっており、そのために就職活動に取り組み、焦っている。しかし時折薬物の再使用があり、この間は幻覚妄想で夜中家を徘徊。精神科薬物療法でなんとか症状はおちついたが、今度どう対応したらいいか悩んでいる。元妻には再使用は内緒にするよう本人から言われている。」
どうしたらいいでしょうかね。治療者目線ですと、使っちゃった時点でもう働くとかそういうレベルではないと考えます。今ご家族様のお話を聞くと、ご本人の社会活動も目にいれて、使ったことが境目じゃないのですね。使っちゃっているけど、その中でどう生きていくかという考え方ですね。僕がこのケースで相談されたら、すぐに家を追い出して自分でやらせなさい、となります。
例示2.「42才男性、アルコール依存症。これまで3回の入院歴あり。心を入れ替え、介護の仕事に従事し続けていた。忙しく、自助グループには次第に行かなくなっていた。3年ほどたった頃、ストレスや不眠への対策として飲酒再開。半年は問題なかったが、いつのまにか連続飲酒に。離脱症状あり。酒抜き入院の希望。入院するなら資格の教材持ち込み希望。」
これは許可しますか?しませんか?
私はしません。使っちゃっている時点で働くとか以前のもんだいでしょ。生きるか死ぬかの問題がおきているんだから、まずはそこと向き合いなよという考え方です。僕らの線引きの基準と、現実的にご本人と生活しているご家族との考え方と、違いがあるのですね。
まとめますと、ご家族の皆様は何かできるんじゃないかと、何かしてあげたいという思いを常に持っていらっしゃると思います。実際病気がよくなるためにできることは、本人が問題に向きあえるように最善を尽くす。前向きの正しい考えが全てだと思います。こうしたら本人がよくなるということは特にないです。ご清聴ありがとうございました。 文責:伊藤