<2021年5月家族会報告>
5月15日(土)1時半~5時 22名参加(17家族) 初参加2名(2家族)
講師:岡崎 有恆先生(みくるべ病院 院長)
PP使用 印刷資料13枚ページあり。
私は今年の4月からみくるべ病院の院長をやらせていただいています。医療法人財団青山会でみくるべ病院は秦野市ですが、福井記念病院というのも三浦市にあります。みくるべ病院は秦野市の山の中にある276床の精神科病院です。依存症専門医療機関として平成30年より神奈川県から認定されています。依存症専門医療機関は神奈川県に6つありますがその一つです。だいたい横浜を中心とした県東部に集中していますが、みくるべ病院は県西・湘南地域に存在することに意味があるのかなと思います。相模原ダルクさんからは入寮者の3分の1位の方が通院しており、時には入院で対応しております。相模原ダルクさんができた当初から関わり続けており、徐々に関係も深まってきております。相模原ダルクの印象ですが、もう10年位前からあるダルクだと思っていました。ひたすら行政からの信頼が厚い。最近も東京のある区からも相模原ダルクがあるからというお話が出ました。東京にはいろいろダルクがありますが、相模原と名前が出てくるのです。県内でもいろいろな行政の方からお名前を聞きます。5,6年の関わりになりますが、見ていると、優れたメンバーさんがスタッフとして残っているのです。ちょっとの風には飛ばないような、重みのある屋根瓦として残っています。こんな所見たことないです。簡単にいえばしっかりしている。入寮している方々も、入った当時こそ不安定ですが徐々に皆さんしっかりされてくるんです。依存症として回復してくるだけじゃなく、人としての礼節ですとか受け答えとか考え方ですとか、着実に取り組んでいる。しかも強制的ではなく自然にやる流れが出来ているように感じます。スタッフさんも入寮者さんもしっかりしておるなと。みんなでやっているダルクだという印象です。これ“忖度”なしですよ。(笑)
依存症ってどんな病気かという話は、聞き飽きていると思うのでざっくりと。依存性のある物質を、ある程度の量・継続的に摂取すること×なりやすい体質・性格×その物質が近くにある生活環境、で形成されていく病気で、誰でもなりうる病気です。私の父もアルコールに問題がある人でした。勤務医でしたがウィスキーとハルシオンを併用しておりました。椅子の上に正座をして読書する不思議な習性のあるオジサンでありまして、朝気づくと椅子から落ちて肩を打って痛くて震えている。せん妄状態で家の中で粗相することもありました。何が言いたいかというと、依存症は私もなるかもしれないという事です。依存物質に対して量と時間と体質や環境がからまれば、誰でも依存症になります。そして依存症だからといってダメな人とか性格悪いとか、そういうことでは全くないと知っていただきたい。人間性の問題でもありません。これは慰めでも何でもありません。
「どうすれば止めていけるか。」これは結構シンプルで、本人が今のライフスタイルを変える必要を認識して、実行に移して継続していくことですよ。やめると言うことだけであれば。単純なのですが、これが結構大変。まず変化の必要性に気づくことがとても難しい。私自身も変化の必要性がございます。痩せる必要を認識しています。毎年の健康診断で脂肪肝とか悪玉コレステロールとか指摘されています。このまま放っておけば15年後あたりは心筋梗塞か脳梗塞になって、喋りがおかしくなってたり字が書けなくなってたりする可能性があるのです。今39才ですけど定年まで職務を全うできない可能性があるのです。(笑)わかっているのに私は痩せられません。余計に食べなきゃいいのにね。少しでも運動すればいいのにね。痩せなきゃいけない必要性はうっすらわかっちゃいるけど実行できません。今日もアイスを…(笑)私が難しいのだから、依存症という「使用障害の病」になっている方はもっともっと難しいでしょう。想像を絶する。食べることより薬物の快感のほうがずっと深いですから。更に続けていくということは、一人ではできないでしょう。単独ではなかなか。だから私は「食べ過ぎの会」とか「小太りの会」みたいな自助グループがあったら入りたいですね。(笑)「実行に移す」ということはやはり仲間を作った方がいいですね。同じ方向を向いている仲間と一緒にやったほうがいい。受験だってそうですよね、同じ目標を持った仲間と一緒にやる、結果的にはライバルになるけど、やはり頑張りますよ。そういう意味でダルクは素晴らしい、脱落も少ないと思います。皆で一緒にやることが続くコツだろうと思います。ダルクの入寮者さんが言っていましたが「いままで一人だったんですけど…皆で何かする楽しさを感じています。」これは醍醐味ですよね。喜びって一人でやっていても絶対に得られないですからね。物質依存は人と人とのやり取りではなく、人と物とのやり取りになっていく。そして悪循環に陥る病気です。それが人と人との交わりとなり、そこに喜びを感じていく、それはまさにリカバリーです。
ご家族が困る事として「重症者ほど病識がないのに、精神科医療機関の多くは『本人の同意』がないと対応しない」ということがあります。多くの病院が本人の同意がないと治療できないと言いますが、でもこれは医療機関側が楽をしたいからそう言うんです。これはズルい。私は依存症治療の中でズルさは禁物だと思います。楽をする、嘘をつく、誤魔化すはすごく良くないと思います。みくるべ病院がとても気を付けていることは楽をしない事です。治療に同意しない患者さんでも、治療の必要があれば、ご家族の同意をとって入院させることが、かなりあります。最初怒ったり不機嫌だったり反抗したりする患者さんをなだめて、治療につなげていく。回復のスタート地点に立たせるのも病院の役割だと思います。辛いけどやる、病院がそういう姿勢でやっていけば患者さんにも伝わるかなあと思いながら。あまり伝わってないかな?(笑)
依存症は「コントロール障害の病」「上手に使えなくなって問題が起きているのにやめられない」というのが一般的な説明ですが、別の言い方をすればこうなります。「生きることに必要な基本的な行動がおろそかになる」「優先順位の圧倒的1位がアルコールや薬物になる」。これって本当に「狂気」ですよ。食べること寝ること、家族や仕事、そういった諸々がどうでもよくなる。圧倒的に使用欲求が勝ってしまのです。これを「狂気」と言わずに何という。入院すると患者さんは食欲が出ちゃって困るといいますが、それは生きる本能が戻ってきているからです。それほど生きることが犠牲になる病気、命に係わる病気だと伝えたいですね。「本能がハイジャックされる病気」ですが、人間の脳の奥の方に生きるために必要なことを考えなくてもできるようにするシステムがあって、それを報酬系といいます。食べること寝ること安全を確保すること子孫を残すこと。こういった行動が自然とできるようになっているのです。でも最初からできるようになっているわけじゃなくて、良い感覚が得られるから、もう一回もう一回とやっていくことで、考えなくてもできるようになる。また色々な人から教わりながら出来るようになるわけです。だけど人間って賢いけど愚かなので、余計な良い感覚をもたらす物質を見つけちゃうんです。また作っちゃうんですね。古いのはアルコールで、新しいのは覚醒剤に代表される薬物です。アルコールは合法ですけど、依存性という観点からすると違法指定にしたいくらい依存性は高く危険です。脳の本能の部分がアルコールや薬物にハイジャックされた状態が依存症といえます。だから難しい。難しい病気だから一人じゃ無理なんです。どれくらい難しいかというと、これはアルコールの例ですけど、グラフで退院後の断酒率の変化をみると、退院時100%だったのが、2年で20%にまで落ちてしまう。数字にもあらわれています。
「依存症は意志の病?」意志では止められない病気だと言います。依存症の欲求は我々の通常感覚では測りしれないほど強い。本能を凌駕するほどですから。しかし使う使わないは選べることで、使えない使わない環境に身を置くといった対処はできることです。だからあまり「依存症は意志の病気ではありません」と言い切りたくないのです。実際に相模原ダルクに残ってスタッフやっている方は、自分でそれを選んでおられますよね。入寮期間が終わった後も、自分自身のためにここに残った方が良いとして選んでおられるわけです。そしてほかの人たちに貢献しているわけです。それも自分の意志ですね。
「ライフスタイルの病」とは通常いう生活習慣よりも少し広い意味でのライフスタイルのことです。みくるべ病院はなるべく面倒臭い事から逃げないようにしていると言いましたけど。僕も嫌なことは避けたいですよ。家族会で言うのもなんですが、変な家族とか、困った患者さんとか、逃げたくなったことはあります、家に帰って別の病院に行こうかなと考えたり(爆笑)。ただ逃げると成長しないですよ。逃げると成長しないどころか幼稚化していきます人間は。依存症という病気は、自分の辛い感覚とか嫌な経験とかを物質でごまかすライフスタイルを作ってしまった人が多い気がするんですよね。純粋に楽しいからという人もいないではないけど、やっぱり回避、逃げ、ごまかし嘘、で使っちゃってる人が多いかな。だから患者さんに「なんでこんなことやらなきゃいけないのか」と言われますけど、「いやいや今君がやるべきことは治療だよ。今までの人生逃げが多かったと思うけど、今やるべき事くらいはやって帰ろうよ」と言います。「僕らも嫌なことがあってもやってるよ」と。意外とこれはキモかと思いますね。ご家族にとってもそうでしょう。イヤでも問題に向き合わせることに尽きるかなと。良かれと思ってやった行動が、実は向き合わせない結果になっちゃっていることが、意図せずしてあるから。そこの本質を理解していただければと思って今日はお話しております。
「依存症は慢性進行性の病である」依存症は治療をやめても悪くなります。5年もやめているけど回復してない人達がいます。逃げる習慣、向き合わない人生習慣、と言ったものが変わらない限り、回復はないです。どんなに物質使用をやめ続けていても、面倒くさいことはしない、自分に向き合わないままでは何も変わらない。ここが回復するかどうかのポイントですね。とりあえず止めてそれを続けることが最低限は必要です。そこから先の、人としての生き方が変化する必要性に気づかないと。回復は二段重ねですよ。まずは止めて続けること。次に自分自身が変わる必要に気付いて、変化し続けていくこと。ここまで内面的な変化を必要とする疾患はないと思います。だからダルクが必要なんですね。プログラムが必要なんですね。ダルクから逃げ出してしまう人がいますが、家に入れない方がいいです。「あなたの今やるべきことをやりなさい、ダルクに戻りなさい」と言ってあげることが、本当の優しさかもしれません。土砂降りの雨の中帰って来た子供を、ここで突っぱねたら親子関係壊れちゃうかなと迷うかもしれませんね。悩んだら基本に帰って「依存症は嫌なことに向き合い、逃げ出さずにやり続けないと、回復しない」と思ってください。
「人生とは困難なもの。向き合い解決する過程に成長がある」生きていて苦しいな辛いなと思うときありますよね。何事もなく平和なのが普通だと思っていると、苦しい事があった時すごく自分がかわいそうになります。辛いことがあっても、そこで自分自身が成長していくと考えるといいですね。これ意外と分かっていない人が多くて、僕自身もわかったとは言えないですけど。これが後で話す本当の愛のプロセスではないかな。
「イネイブリングの具体例」○○できるようにする、と言うのがイネイブリングです。お金をよこせと言われてお金を渡してしまうと、使える環境を提供してしまうことになります。イネイブリングの本質は、問題と向き合うことを邪魔することにあります。尻ぬぐいをすることがどうしてイネイブリングなのでしょうか。本人が起こした問題と向き合わなくて済むようにしちゃうからですね。管理することも、自分がコントロールできないんだという事実に向き合わなくて済むようにしてしまいます。優しくするのもあまり必要ないです。入院してから家族にあれ持ってきてくれこれ持ってきてくれと電話している患者さんがいるんですけど、家族もかわいそうだからと毎日のように見舞いに来る方がいますけど、はっきり言って治療の妨げになります。ある程度突き放してもらわないと、本人がこのままでは自分は孤独になってしまうんだなと気づかないと、変化の必要性につながらないので。
「回復には愛が必要」です。本当の愛は苦しいものです。愛と恋とは全然違います。恋って楽しくて、心理学的に言えば次元が低くて、自分を受け入れてもらったとか、一つになれたとか、幼児的な欲求を満たす水準の物です。冷めたら終わりです。愛はそこから先の話です。夫婦関係、冷めきってます?大いに結構。そこからが愛ですから。(笑)「自分や相手の精神的成長を培うために、自己を拡張する意志」。結構難しいですね。当事者であるご家族を自分は愛しているんだろうかと、わからなくなる時があるじゃないですか。面倒くさすぎて投げ出したくなったり、亡くなってくれた方がいいとか、関わりがなくなればどんなに楽だろうと思ったり。反面家族なんだからやってあげなきゃな、やってあげたいなと思ったりします。ゆれていいんです、人間だから。別に心の底から好きじゃなくてもいいんです。好きだとか大事にしたいとか、それはペットなんです。別に憎たらしくてもいい、うっとうしくてもいい、たまに死んでほしいと思ってもいいから。あるでしょ、僕も父に対して思ってるから。それでも相手の成長を願ってやることは、愛なんです。そう思えば突き放す時に罪悪感がないです。冷たいことしたかなと思わなくていい。だってやらなきゃいけない事と向き合わせているんだから。入院させたりして必要な人に治療させるのは愛ですよ。愛というものは難しいです。好き嫌いのレベルじゃないから。労多きものだから。だからこそ、自分自身が成長する、相手も成長する。好きじゃなくてもいいんです。好きだからやるのが愛じゃないんです。「面倒くさい気持ちに逆らって仕事をやる努力」。「恐れに立ち向かって何かをする勇気」。「相手の話を聞く姿勢」。これは大変なんです。相手の言ってることをわかろうとする姿勢そのものが努力を要することだから、これはこれで愛です。「本当に人に関わる」と結構大変。危険が伴う。でも恐れに逆らってやることだから、それは愛です。嫌なこと面倒くさいことをちょっと我慢してやり続けていくことが愛である。皆さまが当事者に関わり、面倒くさい思いに逆らって家族会に来ていらっしゃることが愛だし。今は入寮したり入院したりしている本人と、いざ直接対面したときにどう応じるかは結構難しいことです。その時にこの原則を思い出してください。
話をまとめていきます。依存症の回復には本人が問題に向き合う必要がある。それを促すことが愛だし、イネイブリングの逆です。そういったライフスタイルを実践するときに大事にしたいことが4つあります。「バランスをとること」「楽を後回しにすること」「真実に忠実であること」「責任を全うすること」。これは当事者に向けた心構えでもありますが。物質使用障害になりますと自分の役割を果たすことが難しくなっちゃう。中途半端になっちゃう。バランスの悪い人が多いですね当事者の方には。周りとうまくやれなかったり、自分自身と折り合い付けることが難しかったり。薬物の方を拝見していると、ダルクの方々をみていると、一人だと延々その症状を続けてしまうところですが、周りに人がいると、そこに目を向けていきます。偉いなと思いますが、自分が地域で生活していく方法を、周りとバランスとりながら見つけていく。色々な人がいて、怒りとか焦りとか感じるでしょうが、全体で調和していくことを学びます。自分の回復を実践し続けていく、こうして回復の道を歩んでいるんだと思います。素晴らしいなあと思います。
質疑応答
Q みくるべ病院では、患者さんはアルコール、薬物、ギャンブル依存症と、どのような割合ですか?
A 50床くらいある急性期病床で依存症治療をしています。アルコールの人が圧倒的に多いです。薬物に関してはダルクさんとの関わりある人がほとんどです。あまり地域にオープンにしてはいないです。ただ措置入院と言って、ものすごく重い精神障害をもって県知事の命令で入院させられた人が、県立精神医療センターとかで治療したその後の、継続治療を受け持っています。ギャンブル依存は扱っていません。
Q 重複障害のある方にはどう対応していますか? 長引きますか?
A 医者も腕が悪いと治療が難しいです。依存症治療の前の段階で治療レベルが低いと、苦労します。統合失調症とか双極性障害とか、重すぎるとなかなか依存症治療まで行かないことがあります。鬱とか不安障害とか合併している人もいます。いつの間にか処方薬依存になっている場合もあって、しっかり処方調整をするのが私の役割になっています。
文責:伊藤