<2月家族会報告>
2019年2月16日(土) 午後1時半~5時 20名参加(16家族) 初参加3名(2家族)
講師 八王子ダルク 加藤隆施設長様、スタッフI様
田中代表
相模原ダルクでは寒い間は外のプログラムなども気をつかいながらやっています。3月17日にNA相模原グループのオープン・スピーカーズ・ミーティングを行います。薬を止めるだけでなく人間的な成長をしている、NAメンバーの回復の話を聞いて下さい。ご家族でも参加できます。
さて八王子ダルクさんは、うちが相模原で始める1年前から隣の八王子でやっていて、僕らを受け入れて下さって助けられてきました。僕が家族も仕事も手放して回復しようと決心したのは、ダルクの職員との出会いによります。回復や成長には、どこの施設でどのようなプログラムを行うかも大事ですが、どういう人と出会うかの方が重要なんですね。この地域では八王子ダルクが良い結果を示していますので、どうぞお話を聞いて下さい。
加藤施設長
家族会でお話しする時は緊張します。僕が薬を買い使って悪い事していた時、いつも大変な思いするのは家族なんですね。友人や恋人は見切りをつけて離れていきます。しかし家族は離れない。時にはうっとうしくなったり邪魔だったり、でも家族がいないと薬を使い続ける事は出来なかった。巻き込まれてくれる人がいると、安心して使える感じでした。では家族のために薬をやめられるかといったら、それだけではダメでした。止めた一年めに、自助グループNAの全国大会がありました。代々木のオリンピックセンターに日本中から集まって回復のお祝いをするのです。家族も多数集まってきます。20代の終わりでテンションが高い僕は、仮装してみんなを笑わせようとしてカツラかぶっていたら、家族の方が横に来てぼそっと「あんたらノンキでいいわね」と言われたんです。たしかに僕らはやっと薬が止まったと喜んでいたのですけど、その陰でどれほど家族のサポートがあったのをついつい忘れがちだと思いました。だから家族会でお話しするのは、自分の家族が目の前にいるようで緊張します。僕ができるのは、止め続けることと、辿り着いていない人に自分たちの体験を語って回復はありうるんだと訴える事だと思っています。
今から7年前に八王子にダルクを開設しました。日本で最初にできたのは東京ダルクですが、そこに入寮して回復が始まって、社会で仕事して10年くらい経ってから2011年に開設しました。なぜ八王子に開設したかというと、僕は八王子が地元でした。生まれも育ちも使ったのも八王子。だから危険な場所です。東京ダルクは荒川区ですけど、あの頃中央線の電車を見るだけでも欲求が入りました。でも多摩地域にダルクができれば、もっと回復が広がるんだろうなと思うし、賛同して下さる家族や関係者の助力があって八王子に開設することができました。その後相模原ダルクもできました。ダルクは足りない所を補い合っていく性質があります。八王子で上手くいかない人間が相模原ダルクで回復して行く例も見ましたし、逆に相模原で上手くいかなかった人間が八王子でうまくいくケースもあります。遠くのダルクの方が良いという話もありますが、えらく遠くに飛ばされたらそれだけでも絶望的で、欲求入ってしまうような気がします。
今日は職員のIときています。彼は実はダルク入寮経験がありません。通所も数か月です。そのかわり多摩総合精神保健福祉センターのプログラム、病院のプログラム、八王子ダルクのプログラム、NAのプログラムと、4つをやってきました。珍しいケースです。主治医とセンターと僕たちとで、本当に長い期間、彼を回復しやすい場所につなげようと工夫し作戦を組みながらやってきました。無理矢理底つかせて、首に縄付けてひっぱってきても、なかなかうまくいかないものです。I君みたいにいわゆる底つきをまたずに成功した例もあるのです。今日はI君は初めて家族会でお話しします。
I職員
うちは母も家族会に繋がっています。僕は学校の先生の目を気にする子供でした。きちんとしていなくちゃと思っていました。父親の期待にこたえなければと。自分の自信がなかったこともあり、進学校を選んだ。中学生の時も学級委員を三年間やったり表面はいいんですが本当は不良たちと仲良かったり、サッカーの練習するよりも遊びたかった。複雑だった。何を信じていいかわからなかった。大学は楽しいから言った方がいいぞと言われて。それは第一志望ではないけど卒業できて、その時何かが壊れた。遊ぼうと思った。
大麻を使う仲間と会って18の時初めて使いました。親の目を気にしすぎて来たので、自分で何をしたいのかといったら何もなかったですね。父が認めた会社に入りました。就職してみたら上下関係も厳しいしノルマも厳しいし。大麻で友達が逮捕されたという話をきいたので、それから咳止め薬に。薬を使うと明日仕事いやだなと思う気持ちが消えているのに気づきました。気が付いた頃には朝昼晩30錠ずつとか。使ってないと会社にも行けないと。そんな感じ1年間つづけました。月に何回か週末帰宅していたので母親に伝えたら帰ってきなさいと。やめて帰ったら、仕事できなくてただのプータロー。退職金でインドに行ったけど向こうで大麻吸うし。帰って来て就職しようとしても緊張して薬使ってしまうし。就職しようとか働こうとか色々するんだけど、ひきこもりになってしまって、最後の半年は雨戸を閉めてカーテンも開けなくて。朝父親と母親が出かけたら、薬局に行き薬を買ってきてゲームをして過ごす。夜親たちが寝静まった後、作っておいてくれた食事を食べて。
「やめろ」とか「何するな」とかも言われなかったですね。お風呂も月一度くらいしか入らなくて。鏡を見るのもいやでした。今より20㌔ぐらい太っていたし。そんな生活続けていて、本当に死ぬ気はないけど歩道橋の上でぼうっとして、ここから落ちたら死ぬんだなんて考えて。でも勿体ない、もう一回何かしようかと。財布を母に預けて「家を出ないで薬を止める」と言ったんですね。いきなりやめたから、一週間くらい幻聴幻覚とかひどくて、自分が神になってしまったり。暴れたかなんかで精神科病院の保護室に運ばれました。2週間くらい保護室で、病院にいる間仕事は探さなくていいと思って安心して。患者さんと一緒にいてほっとして。面会に来てくれる両親と会うのが嬉しくて。退院して実家に戻ると、作業所など探してくれても半年たつか経たないかで疲れがでてきて、ブロンのビンを机から見つけた母は、蝋人形のようになってしまって、ショックでした。でも「何で勝手に俺の机見るんだよ」と怒鳴ったりして。それがきっかけで、主治医からここでは見られないからと、国立精神神経医療センターに紹介されて、松本先生に受診することになりました。
国立の病院で「スマープ」というプログラムがあって、そこで初めて「かつて使っていたけど今は使ってない人」に会いました。人間不信になっていたけど、先生より当事者の方が信じられました。なんとなく救い出してくれるのかなと思いました。国立につながってからも何度かスリップもしたけど、ちょいちょいダルクをと言われました。今まで言われたとおりやらないから失敗したんで、言われた通りにやってみようかという思いになりました。そこで「多摩総に連れてって」と言われて、戦略だったかもしれないけど母親は多摩総に繋がりました。薬はすぐ止まったわけじゃないけど、気が付いたら週3日は行く事になって、再使用するとバレルだろうなと。仲間の手前もあるし。毎週来ているねと褒められたり、退屈がつぶせるので。何より退屈がしのげました。
母親はその頃から明るくなったというか。カラオケのアルバイトで使ってしまった時も、「わかった、帰っておいで」といわれて嬉しかったです。止めて行かなくちゃなと思いました。ダルク、国立精神、多摩総と三ついくようになってから、土日にバイトを始めました。ティシュ配りとか派遣の仕事。他に加藤さんと一緒にサーフィン行ったり。母親も明るくなったし、自分も楽しい事が多くなってきました。
最初から6年たっています。今は安定期なのかな。一年前まだ職員やってなかったころ、サーフィンの後に速度違反で捕まって40㌔オーバーですと言われて、10万円以下の罰金と言われました。すごい絶望してミーティングで何度も言って、あと8万円になった時に母親に頼んでみました。しかし「あなたの問題だから」と言われました。「お父さんも飲酒運転で捕まったのよ」と言われて笑っちゃいました。あなたの責任よと言われたとき、複雑でしたけど笑ってしまった。最後の最後母が助けてくれると思うと、一歩が踏み出しにくかったです。「自分で責任とれば自由になれるかもしれない」と思いました。何か吹っ切れました。大人になれた気になったし、大人扱いしてくれたと思いました。
加藤
I君と会うまえに僕はお母さんと会っています。お母さんは八王子ダルクのイベントで話したり、保護観察所の家族会に一緒に行ってくれたりして。お母さん初めは一生懸命止めさせることをやってきたんだろうと思います。僕の母親もそうでした。僕を更生させるために24時間。当事者の口からいうと何言ってるんだと思われるけど、家族が一生懸命やればやるほど逆にいってしまうケースが多いなと感じます。石井君のお母さんがあちこち行くことで、お母さんにサポーターがついたことが、病院だったり家族会だったりですが、それが大きかったんだなと思います。今お母さんがいう一番の言葉が、「私は自分の人生をしっかり歩いて行こうと思います」「そのために家族会が必要です」と。当事者は当事者との出会いで力をもらうし、家族には家族という仲間が必要なんだなと思います。
残りの時間で「回復とは」という話をしようと思います。僕自身も回復という言葉は、ダルクにきて初めてでした。自分自身に回復という言葉をあてはめたのは、ダルクでした。それまでは「更生」という言葉でした。何十回聞いたかわからない更生という言葉。色々な薬を15才から使ってきました。覚醒剤を使って親が学校に呼ばれ警察に呼ばれ、本当に薬を使う前から母親は苦労してきました。僕は母親を嫌いではなかったけど、覚醒剤使うと初めのうちはいい子になるんですよ。それまで部屋はごちゃこちゃで、親が掃除してくれたのに文句つけるような奴でした。ところが覚醒剤を使うと朝まで掃除したり、多弁になってペラペラしゃべる。薬が切れると起きられないし、「金よこせ」とか悪い子になる。初めの頃は金でしたね。金がなければないほど、より一層薬がほしくなるんです。そうなると使いたいという思考回路になっているから、平気で汚い言葉が言えちゃう、それでもだめなら泣いてみたり、テーブルひっくり返してみたり、ヤクザ言葉になったり。使う前の使いたくてどうしようもない時の方が、人間的なやさしさとか無くなってる状態だと思います。振り返ると、使ってる時は家族がどんな思いしているなんて、本当に考えがいかないんですよ。申し訳ないんですけど使う事が一番の優先事項になるんです。友達がいなくなり恋人もいなくなり、孤立していけばいくほど薬が必要になっていく。思いやりとか思い出とか夢とか、そんなことも覚えてないし、薬優先の人格が出来上がってしまいます。
使いながら精神的成長は出来ないと思います。体だけは大きくなって中身がついていかない。ダルクに来る人は結構若く見られます。それは喜ばしいことではなく、精神的成長が足りないんですね。薬が止まった時点で体は大人なのに言ってることは中学生。わがままで社会的配慮なんてありません。ただ薬を止めるだけではない、自分の中の成長できてないところを成長させていくのが回復だと思うんです。自分で自分を褒めること。ありがとう、ごめんなさいと言えること。心からどうもありがとうと言えること。自分が悪いと思った時に、過去の自分はテーブルひっくり返してうるさいと言ってた。それを立ち止まって、ごめんなさいという。子供はそうやって成長しますよね。29才の僕がそうやって成長していくのが回復だと思うんです。薬を止めることは第一だけど、日々の生活の中で自分を点検して直していくのが回復だと思います。
僕は行くところなくて帰るところもなくて、ダルクに来ました。もう使えない。使っても気持ちよくない。どうにかしてくれって気持ちでした。どうすればいいんだろう。止めたい気持ちはあっても止められなくなっていて。友達もいないし薬の売人にも相手にされない。どうにかしてほしいと思っていた。ダルクに入った時は、「家族のために止めなければいけない」と思っていました。ダルクに来たら3ケ月薬が止まりました。僕にとってすごいことでした。それで家族に報告したくて電話しました。涙を流して喜んでくれるかと思いきや、「お前また金か」といわれて、ガチャンと切られました。その時無性に使いたくなりました。でも職員に「ダルク出て薬使いますよ」と開き直っていいました。「何のために薬やめてるの?」といわれました。「家族のためじゃないですか。恩返しするためですよ」と。その時彼は「家族のために止めるなんて思ってるから、家族とうまくいかなくなった時に、薬やりたくなるでしょ。止め続けるためには自分のために止め続けなければだめだ。彼女のため仕事のためなんて思ってたら続かないぞ」と。それから僕は家族に連絡とらなくなりました。3年後お弟の結婚式まで向うからも連絡ありませんでした。新しい生き方をできるか。自分が薬やめた結果として三年後弟の結婚式に呼ばれたり、少しずつ会えるようになった。後から信頼や家族再構築ができて来たと思います。僕がグレ始めてから本当にいろんな問題がありました。色々な人を巻き込んで傷つけて来たと思います。止め続ける中で今まで自分がやってきたことを振り返る事ができるようになりました。ホントにいろんなことを鮮明に覚えています。だから今止め続けられる。
今年で22年になります。何で止められるのかというと、あの自分には戻りたくないし、長い間いろんな人に迷惑かけて、人を傷つけることもなんとも思わなくて、あんな人間に戻りたくないです。使えばあのような人間に戻ってしまう。やめていても結構しんどい。でも大切な人を泣かせたりという悪い事は起きない。ああいいことだなと思うのは一年に一回くらい。でも新しい生き方していろんな人と会えて、まだ止めてない人と会えて。喜びや悲しみを感じられるようになった。
僕の薬の問題があったからこそ、家族との関係は良くなったと思えるんですね。うちの家族はプログラムをやっているかどうか定かではないんですが、昔よりは家族の絆が良くなったかなと思います。至らない点ですが、仲間はプログラムを使えます。母親と長時間いるとなんかイライラしてしまうんですね。素直にごめんなさいと言えない、勇気をもって励まさないと、ごめんなさいと言えないです。まだ家族にプログラムが使えない。僕のまだ成長しなきゃいけない事だと思います。
どんなプログラムがいいかと思われると思うんですが、どこがいいというのはないと思います。どんな人に出会えるかが本当に重要だと思います。それも一人じゃだめ。ある人だけが自分の目標になったのではだめだと思います。どんな人たちと出会うか。施設長だけが回復しているからその施設がいいとは限らない。施設の人々がよくなっているかどうかが大事。一人一人違う。これをやれば回復できるっていうのはない。あきらめなければ回復できるし、生きてさえいれば回復できると思います。失敗しながら築いていく。失敗を成功に変えていくのが回復だと思います。
文責:伊藤