<2023年1月家族会報告>

2023年1月21日(土)  34名参加(25家族)

講師:相模原ダルク代表 田中秀泰 (パワーポイント使用)

 

開けましておめでとうございます。時間がたつのは早くて、今年の10月で開設して満10年です。家族会も最初は狭い所で7,8人でしたね。今は利用者が50名で、家族会が30名ほどいらっしゃるようになりました。1年ほど前からは金田君が施設長としてしっかり、素晴らしい働きをしてくれています。最初は緊張していて息も吸えないようすでしたけど。僕も開設したころは緊張して他のダルクに負けちゃいけないと、僕一人でしたし本当にしっかりやろうとして空回りしていたと思います。10年たって金田君もリラックスして話せるようになりましたし、僕も気楽にやっていこうと思います。来年満10周年のフォーラムをしますので、一つ宜しくお願いします。

毎月第三土曜日、家族会させてもらっていますが、近隣の病院の先生や弁護士の先生とか、有識者のお話を伺います。わかりづらいこともあると思います。うちのスタッフの話ももっと聞いてもらいたいという思いもあります。どんな専門家であっても、人対人ですから、相性の良し悪しはあると思います。この先生ならうちの息子にあうかなという感じも掴んでいただきたいので、どうしても先生方の話が多くなります。「依存症は病気」と僕たちも言っていますが、病気でも全部が精神科病院で治るわけでもない。精神科病院に入らないためにダルクに来るわけですから、そういう事も理解しておられる先生方をお招きしています。ご家族の方からもこの先生ならばと、チョイスしていただく機会をというのが家族会の狙いでもあります。病院は薬が多いですから、出て来て1年か2年くらいは記憶障害や睡眠障害や、イライラしたりと感情障害も出ます。離脱症状みたいなものです。また3か月も入院していると、本人は遅れを取り戻そうと焦るわけです。今の社会で自立とは、仕事につくとか別れた彼女と復縁するとかをイメージしますよね。離脱症状のある上に空回りするから、うまくいかない。先生方はそういう事も知らないから安定剤や睡眠剤を処方します。そうすると夜は眠れるけど、その人本来の力が出せなくなってしまいます。

日本全体の薬物への対処ですが。今は覚醒剤で困っているご家族は少ないと思います。うちの利用者でも覚醒剤は減っています。合法のアルコールや処方薬で来られる方が8割くらい。僕らの時代覚醒剤は、腹をくくってヤクザと付き合わなければ手に入りませんでした。今はインターネットで手に入りますし、大麻に限って言えば海外では普通に店で売っています。違法薬物の内容も変わってきています。家族会の内容も僕たちの勉強も変えていけなければと、考えています。

日本の薬物への対応は、一次予防、二次予防、三次予防があります。一時予防は「ダメ、絶対」。とにかく地域の青少年に薬物を使わせない。使ったらこんな苦しい事がありますよと、あえて強調します。もちろん回復は出来るのですが、それよりは「薬物やると刑務所入って、親に迷惑かけて、本当に困りました」という話しをします。一回も使ってほしくないですから。一時予防はそういう啓発活動。二次予防は、まだうちに来るには早い人。アルコールでも依存症ではなく「大酒のみのレベルの人」はまだうちには入れないで、北里大学とか、精神保健福祉センターとか、ダルクの前にワンクッションおいて、そこでプログラムやって回復しましょうと。三次予防は、もうどっぷりはまって、刑務所に行った、精神病院何回も入った、親に勘当されたという人。でも勘当したはいいがチョコチョコきては親を困らせるという家族も多くいると思います。「完全に依存症になって止められない人」はうちに入ってもらう。ダルクはこの第三次予防に一番力を入れる所です。

ダルクでも一次予防としては、学校講演とかエイサー演舞とかをしています。僕が5,6人で始めた最初の頃は僕も練習不足で4曲くらいしか叩けなくて。昔はどこ行っても数人で4曲叩けばよかった。今はずっとレパートリーが増えました。依存症の人はのめりこみやすいですから、エイサー楽しいとなると、それに熱中して何年も過ごす人がいて。僕自身がダルクに入った当時は、薬を止めたいだけで、早く治って地元に戻って元の仕事をしたいと思っていましたから、エイサーにのめりこむことは出来なかったのです。だから自分がダルク作った時も、自立させたいと、早く仕事についてほしいと思うので、あまりエイサーに力は入れてなかったのです、正直いって。開設して5、6年頃からエイサー好きな子が集まってきて、すごくなっちゃいました。不思議なものです。ここに居る間、一つぐらい今までやらなかった楽しい事を身につけるというのもいい事だと思います。コロナが収まってきたら、いろいろな所で演舞もしますので、ご家族の方ぜひ見に来て下さい。ニュースレターにも掲載しておきます。

二次予防、大酒のみまでの人。僕自身がダルクに来るきっかけは、千葉ダルクの代表者白川さんと、精神保健福祉センターで会ったんですね。その頃はまだ仕事もしていて、その後に底つきに至るのです。ダルクに入る前のクッションとして、こういったセンターのプログラムだとか、刑務所だとか少年院だとか、そういう所で僕らスタッフと会う事がすごく必要です。会うだけでいい。ちょこっと話しを聞いてこういう人もいるんだなと思うだけで。依存症止まりませんから、のちのち警察のご厄介になったり、病院に入ったりするわけですね、残念ながら。そういう時に、この人と昔しゃべったなと。本人が失敗したり、オリの中に入ったり、またやっちゃったと凹んでいる時には、聞く耳になっていますから。元気で使ったり飲んだりしている時には、なかなか耳に入らないものです。

ご家族の方はここに来て元気になりましたという方が大半ですが、嬉しいのですが、ここに来る時点である段階を越えていますよね。家族会議したり、親戚集めて相談したり、それでどうしようもないからここに来るわけですよね。相談は、本人が「薬やお酒をやめたいから」と来る事はまずないですね。家族が困って来るわけですね。職場でクビにされたり、奥さんに逃げられても、刑務所に行っても、本人が「次は頑張る、俺は依存症じゃないぞ」と言えばそれまでなのですね、悲しいかな。ここがポイントで、本人の性格や人間性の問題ではないんです。病気がそういわせているのです、悔しいけど。まるで決まり事のようにウソをつくとか約束を破るとか、これは病気だと考えれば、少し落ち着くんではないですか。悪い物食べて下痢になったとして、意志の力で下痢を止める事はできません。それと同じだと割り切って下さい。そういう事態に対して、僕はこうして乗り切りましたとか、うちはこういう風にして乗り切りましたとか、そういう話をミーティグで聞くのは大切だと思いますよ。だからこの後の家族ミーティングに参加してもらっています。だって最初はみんな、うちは違うと思うんです。数回ミーティングを重ねると、うちとちょっと似ているな、いやうちの方が悪いんじゃないかと思ったりします。それが回復のはじめです。家族も本人も、人間だから認めたくない事があると思うんですよね。更にミーティングを重ねて、うちもそうですと言えるようになったら、もっとすごいですよね。言葉に出すのは、心に思ってから時間がかかるものだから。相談に本人が来たら僕らびっくりしますよ。まだ大丈夫じゃない、くらいのこと言いますよ。

三次予防のダルクには、本当にどうしようもない状態になってからきます。今4つの寮とワンルームマンションの個室が6個くらい。仕事に行く人は個室から。大和市に初期施設を作りましたが、そこは20人くらい大所帯で暮らしています。入寮時期に、その人の生活を住まいから持ち物からプログラムまで、支えてあげる必要があります。ここの点がほかのダルクにないうちの特徴で、この10年で形になってきたかなと思う所です。4つの寮から個室から、毎日こちらのデイケアに集合してプログラムを受けます。ここは毎日40人ほどの男子が集合して、普段はむさ苦しいわけです。人間が健康であるためには、栄養ある物を食べて、昼間は運動して、夜は寝るというサイクルは、依存症以前に生活の根本にある大切なリズムですね。それがコロナにしてもインフルにしても、対抗していく力になると思います。

お酒の人や薬の人やギャンブルの人、年も違うし趣味も違うし、家庭のルールも違う人たち。いろいろな要素がで性格は決まります。どんな学校行ってどんな友達を持ったか、失恋したり仕事をもったり、いろいろな事が依存症のキッカケになります。依存症は本人のお酒の問題にとどまらず、本人だけの病気ではないと考えています。本人の家族や友人や仕事や、全部ひっくるめて依存症という病気だと考えています。奥さんの性格やそのご家庭のスタイルも関係するかもしれないし、お子さんがいればなおさら。

僕はやっぱりダルクに入る16年前、子供と別れるのが本当に嫌で。クリーン5年位までの頃は、子供のために薬やめると、本気で思っていましたからね。先日国立市で講演させてもらった時「何を支えに薬を止めるんですか」と質問されました。「何かを支えに、何かが支えがあって薬をやめるのであれば、その支えがなければ薬を使ってしまいます。目標や支えがなくても、薬が必要ないくらいの、回復が必要なんです。」と説明しました。僕の場合も娘が支えでした。でも娘は大学入学したら、一人暮らしするというのです今年。そうしたらまた薬も酒もするのかといったら、そうではありません。今年も来年も、10年先も死ぬまでも、やはり一日ずつ薬をやめ続けようと思います。支えも目標も必要がなくて、やめ続けるゆっくりした人間にならなきゃいけないと、思っています。でも最初は娘が、僕のキーワードでした。それをダルクのスタッフや白川さんは、馬に人参じゃないけど、うまく使ってやってくれたなと思います。

依存症は一緒に住んでいる家庭の中に病気があるんだと考えています。それを本人はダルクにはいってもらって、ご家族は家族会で、またスタッフとの話し合いで、何かを見つけてもらう。僕らは本人にも君は依存症だよとは言いません。僕は依存症だったよ、君と同じような頃は依存症だと思わなかったよと「自分を主語にして」話します。ご家族に対しても、こういう病気ですとはいいません。話しながら気づいてもらうしかないですね。僕らそのように話すよう心掛けています。病気のパワーの強い家庭も弱い家庭もあります。ヒントを示して何でこうなったんでしょうねと話しながら、ミーティングにも出てもらって、ああうちはこういうルールがあってこうなったんだなと、自分で考えてわかってもらわないと。家から子供がはなれてくれた、それで終わりじゃなくて、そこからがスタートです。

今日現在のダルクです。45名のうち、昨日電話して入ってきた人もいますし、先週は高齢の方で脳梗塞で入院した人がいます。最近50代のアルコールの人が何人か癌で入院しました。アルコールの人は本当に体がわるい。逆に覚醒剤でちょこちょこ刑務所に行っていた人の方が、体は健康ですね(笑)悲しいかな。アルコールの人は健康診断で早期発見早期治療してもらわないと。今はお酒の人が8割。覚醒剤の人は11名しかいません。僕の頃は半分以上が覚醒剤で入れ墨した人が大半でしたね。今はギャンブル3名、大麻その他が2名。見てお分かりの通り、違法ではなくて合法な方が多いです。合法な物の中に依存症になる罠が多いことがわかります。

相模原ダルクではステージを1~4に分けています。最初は初期寮で、出来て約2年になりますが大和市に大きなビルを借りて、20名前後で住んでいます。毎食自炊で個室はなくて大部屋だけで、わざとそういう風に作ってあります。我の強い者同士がテレビのチャンネル争いをしたり、食事もどっちが多いとか、やりながら暮らすわけです。ご飯は最近はお米の献品がたくさんいただけて、ほとんど米屋から買わないですんでいるそうです。栄養面はとても大事なことだと思っていて最初は太ります。本人は病気に冒されて性格も変化していますから、ウソをつけばつくほど苦しくなるし、長期離脱症状は最初はすごく強いですから、過敏になってちょっとドアの音が大きいだけで喧嘩したりと。クリーン1か月の理屈っぽい奴がクリーン3か月のもっと理屈っぽいのにやられたりして。うちは研修スタッフといって、利用者だけど他の者の面倒を見るというのがあって、そのプログラムが効いてると思います。本人たちは喧嘩してるんです。何時間も解決しない口論をするんですよ。それがいいんですよね。長期の離脱症状が2年位続きます。普通は病院で3か月解毒入院がおわって、さあ大丈夫ですよ、と言われて仕事したり家族との縁を戻そうとしようとして、失敗するのです。

とにかく薬やお酒やギャンブルをしないのを一番の目標にする断薬期間、それを1年か2年かけます。ここで頭で考えさせるのではなく、24時間の団体生活、体で考えさせます。喧嘩もしますよ、楽しい事もあるわけです。喧嘩っ早いのがだんだん丸くなって、しょうがないな、お任せしますよとなるまでに1年か2年、そうなったら次のステップ考えようかと。ダルクって不思議で「ヤダヤダと言ってるうちはまだいるべき時」。自分で方針作って出たい理由を探します。「ダルクに一生いてもいいですと言うようになったら、出す時」。逆説ですけど、そういわれています。うちに来るような人は、それぞれすさまじい体験を、本一冊かけるくらいの体験をしてますよ。来た時も本当に辛くて。よく道徳観がなくて、意志が弱くて、人を傷つけて、なんて言われますが、ちゃんとしたダルクに入って厳しい生活をしていけば、良くなっていきます、少しずつ変わっていく。ここに来るまでになった子は、何処か傷つけられていますね。だからと言って何でもしていいというわけではありませんが、やはり本人にはいろいろな傷があります。人に傷つけられたことがあるんです。人につけられた傷を癒すのは、人でしかないのです。何か買ってあげたり、いい仕事に付けたりしてもダメです。

僕個人は助けられたのは千葉ダルクの白川さんです。僕は暴力団で父親も暴力団でしたからすごく幅を利かせていたんです。その頃の会長さんとか組長さんの家は、キンキラキンで華やかで毎日お祝いみたいでした。それで嫌になってダルクに来て、先輩に引っ張られながら、苦労していた時に、白川さんの家に行ったのです。貧乏ですよすごい狭い部屋でね。再婚されたばかりで奥さんと二人暮らし。ダルクのスタッフはなかなか代表者の家には行けないのです、行けた時にすごい嬉しかったです。光り輝いて見えました。ヤクザの親分さんの家は嘘ついて汚い金で出来てるとわかるのです。白川さんはダルクの二段ベットから始めて、ダルクのルールにのっとって苦労して代表をされてたんです。白川さんは子供がいました。ダルクで子供がいる人は多くはないし子供と再構築したいという人もあまりいません。白川さんは別れた子供に養育費とか埋め合わせとか、きちんとしていました。当時月の生活費が一万円で、そのうち5千円を積み立てて二か月毎に送っていたと。他の仲間と生活しながらですよ。感動しました。一億円動かしただのロールスロイス乗っただのって話が僕の中ですごかったけど、ダルクのキツイ生活の中で他の仲間には隠れて5千円ずつ子供に送っていたと、感動して泣いてしまいました。白川さんは僕をかわいがってくれて、よく学校講演に連れて行ってくれましたが、白川さんの話を横で聞きながら毎回泣いちゃって。上の人が何を思っているか、僕の中で変わったのです。正直にコツコツやって、クリーンも繋げて行っている人。人が変わるには、時間もかかるけど、過去と違う価値観に出会って、すごいなこれはと思う事ですね。

僕が千葉ダルクで白川さんの下でスタッフしていた時のこと。まだ僕もクリーン2年とかの頃ですが、僕も関東中の悪い子を集めてきて、5,6人だった九十九里ハウスがいきなり10名以上になっちゃって大変だった頃ですが。何かあると家に帰っちゃう子がいたんですよ。親の方も絶対に家に入れないでくださいと言っても、入れちゃうんですよ。薬や酒を飲んで入退院も繰り返すんです。ある時その子を連れて寿司屋に行きました。下総の病院かなんかいって寮に帰ってくる途中二人で。通じるわけない説教をしていたわけですが、お腹減ったから入った寿司屋だけど、僕もお金ないしそいつも寮長と二人ではなかなか頼みにくい状況で。その時たまたま、高校生くらいの甘ったれた男の子とお母さんが入ってきたんです。お母さんが息子におしぼりを上げて、息子がウニだ赤貝だと、高いものを頼みだすんです。するとその子が「ヒデさん、僕あんなだったんですね」と。「恥ずかしいですね」というんです。僕嬉しくて泣いちゃって。

人は人によって傷つくけど、人によって回復します。くだんの放蕩息子は、寿司屋でスネかじり男を見て、何か感じたのでしょうね。それまでの出たり入ったりや、説得を試みたり、その結果偶然の出会いでそういう変化が起きたのですが。無駄かもしれないけど、いろいろなやり取りがスタッフや利用者間にあって、俺も頑張るよ一緒にやろうよと、そういう中でお寿司屋さんのエピソードみたいなのもあって、人は回復していくのだと思うのです。

ダルクの生活ですが、プログラム表の真ん中でピアカウンセリングと書いてありますが、これがミーティングです。いわゆるダルクやマックでは一日3回のミーティグをする、それだけがルールでした。本気でミーティングで自分の話をすると一日3回は無理です。僕がそうでしたから、相模原では午前中しっかりミーティングしたら、午後はスポーツやエイサーや農作業とか、体を動かすことをしています。夜は自助グループでミーティングします。ミーティングは一日2回で午後は様々な活動にあてています。ホームページにも掲載していますので、ご参考にして下さい。日曜日はこちらのデイケアはしませんが、自助グループには行きますから休みなしです。

12ステップの先生が、コロナ禍で来られなくまして、代わりに水澤都加佐先生に、カウンセラーの先生に来ていただいて、スタッフ向けのセミナーや、個別カウンセリングをしてもらっています。カウンセリングを受けられるダルクはなかなか少ないと思います。僕は12ステップのほかにも、水澤先生に本当にお世話になりまして変わってきたという経緯があるので。後はプレジャー、新年会、卒業式、夏はバーベキュー、秋は芋煮会とか、季節の行事を大事にしています。

コロナで停滞していますが、今個室から仕事に出ている人が二人いて、三人くらいは仕事の面接などに就職活動に出ています。ただうちの大半は40~50才台のアルコール依存症ですから、正社員になって生活保護切って自立していくという目標は、変わってきましたね。卒業するにあたっては、生活保護のままでも構わないと思います。ただ謙虚さというか、生活保護にもありがとうございますという感謝をもって、家族とも再構築して、人の話も聞けて、建設的なやり取りができれば。本当に人が変わるっていうのは大変な事です。たとえ生活保護とりながらでも、うちに通ったり地域に迷惑かけないで、親御さんとももめ事なく関係を持ち、一生送っていけたら。とても大変なことをやっているのだと思います。またお酒飲みながら嘘つきながら仕事して、何十万稼いだとしても違うだろうと、考えます。

スタッフを経験してもらうと、自分の事を差し置いて人の事を優先しなければならない。それがどれだけその人の力になるか。スタッフになって一定期間人のお世話をする。そして人に感謝される、それが良いのだと思います。お坊さんも出家する時は何も持たないですよね。携帯電話も持たない、服も最低限しか持たない。それは何故かというと未練があるからです。人間には必ず欲があります、業というか、それを全部捨てて修行に入らないと、ターニングポイントというか、変化することはできない。人は何ものかにしがみついてしまうものですから。入所したての人にそんな説明をしてもわからないから、いちいち細かい説明はしませんが。だけど半年一年過ぎると、「あそこで携帯手放して、親とか彼女に電話しなかったから、こういう風に良くなったんだ」と感謝されるのがわかってまるから。

ではここからダルクでどういうことを勉強しているかを説明していきます。

「繰り返す病」。息子娘が病院に入って、お酒をやめたとします。でも病院の中で彼か彼女を作って、それに依存してお酒の欲求をごまかしたとしても、解決はできません。その人のお酒を飲む理由が必ずある。本人やご家族は気づいてなくても、必ずある。自分のぽっかり空いた穴には何かを入れたくなる、埋めたくなるのです。僕は覚せい剤でしたけど。ある人が刑務所で薬を切って家に帰ってきたとする。でも眠れないです。刑務所入る前は簡単にできたことができないもどかしさがある。家族は家族でどう扱っていいかわからなくて混乱している。そして病院に行った。先生は安定剤や睡眠薬を処方する。一瞬は良くなります。本人はぼーっとして薬とお酒を飲むけどやっぱり眠れない。やっぱり家族とケンカしちゃう。やっぱり奥さんにストーカーしちゃう。やっぱりもといた仕事場に戻ろうとしてトラブルになる。本人もアレアレという感じですよね。そこで覚せい剤やったら一番しっくり来た。覚せい剤やればもう止まらない、捕まるまでやってしまいます。こういう人を僕らのところに連れてきてくれたら「そうなのか、俺もそうだったよ」といえる。

「交差依存の問題」。クロスアディクションにはありとあらゆるものがあります。合法の薬剤もたくさんありますし、今はスマホがある。僕が子供の頃にスマホがあったら、ずっと変わっていたでしょうね。また家族関係は、共依存になります。ダメと言われてもどうしたって共依存ですよ、世話しすぎちゃう。それを踏まえて、いかに突き放していくか。かわいい息子や娘です、ダルクの職員と何回も話会って、何度も方針を確認して、初めて突き放せるものですよね。だから家族がない、身寄りがない、どこも行く所がないという人は、回復が早いですよ。いいお父さんお母さんがいて、帰るところがある子は、そこが逃げ道になりますよね。そこを乗り越えるのが何もない人との違い、ポイントになります。

「離脱症状について」。精神科の先生は、解決方法として薬を出すしかないんです。でも薬じゃ治せないんです。それでもいい先生は大体ダルクに紹介してくれます。医者じゃ治せないから。知識のない先生もいます、アルコールの離脱症状は3か月の解毒入院でもう大丈夫だと、教科書的には。でも研究している先生は、離脱症状は約3年かかると言っています。僕らの経験でもクリーン3年までは、記憶障害や感情障害があって、ストレス過敏症やバランス障害もあるし、だから3年は入寮が必要だと。それを超えれば治ります。いや本当は今日一日だけです。使わない今日の積み重ねを続けて、3年たてば仕事も良くできるようになります。それを踏まえてスタッフは、今一年半だからこういう離脱が出てるのかもしれないよと、仲間を励まします。3年たてば薬もいらなくなるし、仕事もできるようになるから、待とうよと伝えます。この待つというのがなかなかできないのですけれど。

「回復の文化」。僕らそれぞれです。育ちが違うし、性格も違えば趣味も違う。国籍も違うかもしれない。回復のある程度の根幹、背骨がなければなりません。どういうことか。言葉、食べ物、服装、価値観、道徳観、仕事、遊び、家族関係、性関係、読み物、音楽…要は全部変わらなきゃいけないんだよ、ということです。理想ですけどね。ただ入れ墨があり指がなくて暴力団だった人が、しっかりうちで3年お勤めして薬をやめて、また暴力団やりますと言ったら、ちょっと待てよといいますね。元DJのラッパーだった大麻の子がきて、うちを卒業したらまた戻りますと言われたら、それでいいのかなと話します。もちろん本人の人生だし本人のチョイスだから、一概にダメだとはいいませんが、暴力団の関係に薬の問題があるし、ラッパーやクラブでの人間関係に問題の根があると思いますよね。そこから離れなきゃいけないなと自分で考えられなきゃいけないですね。最初は大麻なんてすぐ止められると思っていた。でもやめられなくて入ってきて、問題は大麻だと思っていた。次第に大麻にまつわる問題に目がいった。大麻や音楽に投影して自分の弱さや欠点を問題をごまかしていたなと気付く。気づきのレベルが変わっていきます。最初はすぐ出て仕事に就くと言ってた人間が、数年後には今スタッフで働くのが楽しいですと言ってたりする。様々なレベルの経験をしたスタッフが一緒に居て考えてくれるのがダルクです。

ご家族は家族会に参加して、依存症について学び、スタッフと話しあって下さい。原因探しではなくその子にあった道を探していきましょう。一人一人素質や経験は様々ですから、回復には個別性があります。そして講演の後のミーティングにも参加してください。その中で突き放しを学んでいけるでしょう。重い病気になったら手術が必要になります。手術して血の出ないことはありません。回復には痛みが伴いますから。

 

文責:伊藤