<1月家族会の報告>

 

30年1月20日 午後1時半~5時 23名(19家族) 参加。初参加3名(2家族)

 

代表挨拶:今日は私自身のダルクでの失敗や家族との関わり、プログラムについて話します。また体験談のあと、代表の私とご家族との質疑応答を行います。4年前に相模原ダルクを始めましたが、千葉ダルク代表の白川さんや多くの人達に出会い、長く時間をかけて回復の道を辿らせてもらうことができ、ようやく施設長になれたのだと思っています。今日、体験談を発表してもらう金田マネージャーを紹介します。開設して半年位で入所してきましたが、彼も一度出てしまいます。その後戻ってきて繋がりました。それからこれまでに他ダルク研修等も終えて、現在ダルクのために働いてくれています。

 

金田マネージャー体験談:覚醒剤ではなくアルコールで事件を起こし、行くところがなく2,3日のつもりでダルクに来たのが最初です。田中代表から「あなたは依存症だから治療した方がいいよ」と言われたのですが、その時の私には何のことか全然わかりませんでした。私は、12才で酒を飲み始め、17才で覚醒剤と出会いました。最初の1回が気持ち良いという人もいますが、僕は罪の意識がとても強くて、お母さんに申し訳ないと思いました。2,3回やるうちに、人生の歯車がピタッと合った感じで、ともに罪悪感が薄れていきました。一番ひどかった時は42㌔まで痩せてしまい、急行電車の風圧で倒れそうなほど立っているだけで大変な有り様でした。にもかかわらず、当時の僕は薬がなければ生きていけないと思っていました。(中略)一度ダルクを出てからすぐに捕まってしまい、1年8か月刑務所に入り初めて冷静に、自分には居場所がない事がわかりました。今はダルクに居たくて居ます。毎日笑っていられて、クリーンと共に少しずつ与えられるものがあります。他ダルク研修の時に、ある仲間が薬の過剰摂取でなくなり、田中代表に「とても苦しいです」とメールしました。その時に代表から「辛いけれど、素面で人の死に向き合えるようになったことが感謝ではないか」と返事をもらって、ストンと落ちました。まだ2年ですが、今日一日をこれからもダルクと共に生きていきたいです。余談ですが、そんな私に奇跡的な出来事が起こりました。長らく音信不通にしていた娘が、僕を探して施設に手紙をくれたのです。そしてまたつながることができました。

 

質疑応答:

質問1 ある人に「世の中には薬物を使っても上手に生活している人がいる」と言われたのですが、どう受け止めれば良いでしょうか?—

—何度も刑務所いったからダメというものではないです。しかし効果があるのは、同じ仲間が同じ釜の飯を食べ、寄り添ってあげる事です。医療は時代とともに変わります。本当に信頼できるのは、一緒に暮らしてプログラムや運動をして、夜ぐっすり眠れるようにしてあげられる仲間なのです。

 

質問2 プログラムで過去を話すことで、返って欲求が強くなるのでは。また自助グループで薬の情報を仕入れてしまう心配はないでしょうか?—

—依存症を抱えてしまったら、どんなに遠ざけてもプログラムをしていないと絶対に再発します。だからプログラムの中できちんと話す必要があるのです。NAメンバーは施設の人が大部分で、自立して通っているのは全国でもごくわずかです。守られた環境でプログラムをすることが大切です。

 

質問3 なぜ、社会から薬物はなくならないのでしょうか?—

—例えば、僕は薬物がなければギャンブルに行ったでしょう。仕事に頑張りすぎたり異性関係に走ったり、生きづらさを抱えている人は対象がなんであれ嵌りやすいのです。薬物だけでなく、ギャンブルの人がいる。もう一度血管が破裂したら死んでしまうアルコールの人もいる。そういう人たちといることで、真剣に生きようと思うようになります。私たちが目標にしているのは、薬物を止めるだけではありません。

文責:伊藤